友人の石黒さんが本を書いた。彼女は90年代初頭からシリコンバレーで奮闘してきた仲間の一人だ。現在は日本に戻り、彼女の会社である<ネットイヤーグループ>のCEOとして活躍し今年の3月に同社を見事にマザーズ上場に導いた女傑である。いつも会う時には、本当に気さくで気兼ねなく冗談を言い合い、時には私のくだらないオヤジギャグにも付き合ってるお茶目(失礼)な女性なのだが、この本を読んで彼女の仕事における信念と情熱、そしてその芯の強さとバイタリティを形成してきた生い立ちなどを、ようやく理解することができ(いまごろ、石黒さんごめんなさい)、いつも素敵な彼女に対する敬意の念がますます高まった。
この本「言われた仕事はやるな!」は、そのタイトルだけからみれば「なにいってるの?わかんな~い」という感じなのだが、これを理解する内容が、この本の中には具象化されていて、それのみならず彼女の生い立ち、スタンフォード入学、シリコンバレーでの起業、そして日本での会社経営という内容を通して、今の時代を生きるための処方箋と納得のいく人生を送るための指針を提供している。生い立ちによって形成された彼女の性格とスタイルが、スタンフォード大学という土壌によりさらにはぐぐまれることによって立派な太い幹に成長し、そして起業したシリコンバレーでの環境によって、より太い樹となり大輪を咲かせるまでに成長するに至った内容には、もちろん日本から見れば環境も違うし、教育も違うということで一蹴されかねない可能性も否めないのだが、少なくとも、これからの人間形成には非常に重要なヒントがいくつもりちばめられている気がするし、スタンフォードに入学しなくても、シリコンバレーで働かなくとも、そこで得られるのと同じ情報やビジネスの指針が、この本には豊富に語られている。特に自分が参考になったのは第5章の「失敗を許す」で、失敗に対する寛大なこの地の性格が、ここで成功したビジョナリー(伝導者)達の名言や逸話で分かりやすく説明されていて、これが「言われた仕事はやるな!」という変わった社風(かな?)の同社の根底にあるモチーフのような気がするのだが、自分にとっても同じような立場において、このような失敗を許容する懐の大きさをもつことの重要性を強く感じた。そのモチーフの上で「好き」を生かす組織の役割を構築し、自由とコミットメントの中で「言われた仕事」はやらずに120%のパフォーマンスを出し、そして自分の自由度を高めるために投資をさせる、という見方を変えれば「そんなことできるわけないでしょ!」と誰からも言われてしまいそうな会社を日本で運営しながら、その会社=若樹に上場というかたちで大輪を見事に開花させた彼女のパフォーマンスと生きざまは、やはり何物よりも説得力がある気がするのだ。そして立派に育って大輪を咲かせた若い樹がこのユニークな会社で次は花に限らずどんな素晴らしいものをさかせるのかが、実はちょっと楽しみでもある。彼女には大いにエールを送りたい!頑張ってね~!
Archive for Yoshi Endo
「言われた仕事はやるな!」を読んで
新型iPhoneの発表に見るアップルの脅威!
アップルのWWDC(ワールドワイドデベロッパーズカンファレンス)で、やはり誰もが予想していた事だが新型iPhoneが発表された。3G機能搭載。価格は$199で世界同時発売だという。もちろん日本でも発売されるわけだ。このiPhoneが日本の携帯市場でどのような評価を受け、数々の競合他社を相手に健闘していくかは、非常に興味のあるところだ。なんせ日本の独断場でもある(というか当然なんだけど)、携帯市場に殴り込みをかけるわけだから…。ひとつ言えていることは、以前最初のiPhone発売の時にも、このBLOGに書いたのだが機能的に見れば日本にある携帯電話の方が数倍充実しているように思われる。当然日本語の機能はあるものの、あれだけメイルをこまめに使う日本人にとって、そのあたりの機能が充実しているかどうかは非常に疑問だし、すべてグラフィック管理で表示される本体のバッテリーの持ち時間も切磋琢磨され続けている日本の形態とは違って、格段に劣るかもしれない(そういえばアメリカでは携帯の簡易充電器見たことないなあ)。しかし、そのデメリットをもカバーしてしまうほどの機能は十分にあるようにも思える。まずグラフィックの美しさ、そしてファッション性、くわえて自分がまるで魔法使いにでもなったように錯覚してしまうほど、指先の動きでコントロールできる操作性などマニアックなユーザー、ファッションにうるさい若者、そしてハイセンスな女性には間違いなく浸透してく可能性がある。加えてエンジニアを虜にして離さないアップルならではの機能が満載されていることも見逃せない。私の友人のスーパークリエイターが以前「iphoneはガっツリ来てますよ!」と興奮して話してくれたのは、ほんの些細な機能なのだがイヤレスで話ができるBLUETOOTHのヘッドセットがOPTIONであり、そのヘッドセットは通常個々に充電、もしくは電池を搭載しなければならないんだけど、そのバッテリーの残量が、きちんとiPhoneの画面に表示されるのだそうだ(純正のもののみ)。自分もこの種のヘッドセットを使用していて、肝心な時に電池が切れたりして困ったこともあったので、それはきっと便利だろうと思ったのだが、こんなちょっとした機能がアップルマニアにとってはたまらないらしい。そして、このような充実した機能やデザインが一般にも理解されるようになったとき、それはアップルの脅威として我々の前に登場するのだろう。まるでI-Podが瞬く間に日本メーカーの牙城であったポータブル音楽機器市場を席捲してしまったように。。。
このiphoneの日本での発売がそうならないことを日本人としては切に願いたいところであるが、昨日のコンファレンスで、総帥スティーブジョブスがこの新型iphoneを満員の会場で発表したとたん、会場を揺るがすような大歓声が上がったという話を友人から聞いた時、日本メーカーのまさに独断場であるはずの家電商品で発売される新商品で、これだけの期待で迎えられるものが最近あるのかと考えると、残念ながらその敗北が垣間見えたような気がしてしまった。。。
同姓結婚を認める判決のニュースを見て感じたこと
昨日(5月15日)の北カリフォルニア、特にサンフランシスコ周辺は、カリフォルニア州最高裁がサンフランシスコ市の訴えを認め、同姓結婚を容認する判決を下した話題で持ちきりだった。サンフランシスコは全米でもゲイ(同性愛)カップルたちの聖地として長い歴史と伝統がある。メインのカストロストリートでは、多くの男性カップルが普通に生活している様子をこれまた普通に見ることができる。それはある意味物事や規制にとらわれない非常にリベラルな気質が、この地だけでなく、そこに生活人々からも感じ取ることができるということだ。何しろ同性結婚をカリフォルニア州を相手に訴えたのが個人や団体ではなくサンフランシスコ市というのだがら凄まじい。もともとサンフランシスコといえばヒッピーのメッカであり今から40年も前に、そのようなリベラルな主張とLOVE&PEACEのスピリットを持った多くのヒッピーたちがフラワームーブメントの名の下に全米のみならず世界中から集まり、一つのジェネレーションを築き上げていたことは非常によく知られているが、そのときのスピリット、DNAが未だに延々と受け継がれているところに、ものすごい意味がある気がする。きっとサンフランシスコ市で、このような訴えを起こすプロジェクトを推進していたのは、この世代に洗礼を受けた人々だったかもしれない。もちろん、そのDNAはシリコンバレーという非常に特殊なエリアを築き上げてきた先人たちにも間違いなく受け継がれているといっても過言ではないであろう。”STAY HUNGRY, STAY FOOLISH"の名言を残し、いまやシリコンバレーのカリスマのひとりとなっているアップルCEOのスティーブジョブスも、その根底にあるのは体制にとらわないリベラルな精神という、まさにヒッピー文化に共通する姿勢だ。そして今、その当時、彼らによって主張されていた、パーマカルチャーやエコロジーなライフスタイルが、本当の意味で具象化されてくる、というかされざるを得ない状況になりつつあることも事実だ。原油高に伴う物価の上昇、地球温暖化の問題などなど。我々の生活に直結する問題に対してどのように行動すればいいか。その指針は既に40年も前から、ここでは主張されていたわけだ。もちろん当時は誰も現在の状況などを予測できないから、そのような主張をする若者を、ただ単に自由と反体制を主張しドラッグに陶酔するイメージでしか捕らえられなかったであろうが、今はそうではない。当時彼らが主張していたことを実践することが不可欠になってきているのだ。大きいところでは若くして富を得た多くの新世代の起業家たちが、そのDNAによって次世代の石油に代わるエネルギー源の開発や環境対策といったテーマでビジネスという視点も考慮して次々とアクションを起こしつつある。その先端を行くGOOGLEでは、数千億の資産のある創業者の一人は環境を考えプリウスに乗っているし、社内のカフェは環境に配慮し半径150マイルの調達される材料のみを使用していたりする。行政面でもハイブリッド車に優先レーンの使用を認める配慮がなされていたり、サンフランシスコから南、モントレーにかけての農園で生産されるオルガニック野菜はダントツで全米一の収穫高を誇っている。もっと細かいところでは、私の行きつけの何店かのコーヒーショップは自分のCUPを持参すると大きさにかかわらず、コーヒーを50セント引きにしてくれて、CUPの消費軽減に努めていたり、以前私のスローライフの師匠であるウメさんが主張していた"マイハシ”運動を実践している日本料理屋も既に存在していたりする。そのうちの1店では箸を購入してくれたお客さんに日本の蒔絵柄の素敵な箸入れをプレゼントして、箸をお店にキープしている。当然お客さんはその箸があるから、そのお店にしか通わないというマーケティング的なメリットもしっかり出していて、そろそろキープ箸は100膳を超える勢いだそうだ。これでそれなりの割り箸消費の軽減、しいて言えば森林伐採の軽減に貢献しているわけだ。こういう地道は活動が、この地では、これまたすんなりと受け入れられるような気がする。これもヒッピームーブメントの伝統だろうか…。
というわけで同性結婚のNEWSから、かなり話題がずれてしまったのだが、このような事柄に対しても寛大でリベラルな風土が、歴史的に伝統のあるもので(まだ40年足らずだが)、それがシリコンバレー隆盛の原動力にもなり、そしてこの先のエコロジー文化、産業の面でも間違いなくイニシアティブを取り続けていくであろうことは、私としては容易に想像できてしまうのだ。
機密保持徹底度の日米比較
日本では、ここのところ(といっても数年前から?)プライバシーポリシーに対して非常にナーバスになっていて、どのHPに行ってもこれらの規定が明示されるようになった。それでも、日本はその話題性からか、情報流出のNEWSが相変わらず新聞沙汰になっている気がする。アメリカはどうか?それほどメディアに関心をもって接することがないので、そのような記事はほとんどお目にかからない。確か去年だったか、大手のクレジット会社(たしかVI○A)の情報が漏れて200万人ぐらいの人が被害にあったというのが記憶にある程度。200万人というと、当然日本で話題になる規模の100倍以上?という気がしないでもない。そのくらいの規模にならないと話題にものばらないのだろうか?それとも、このような問題はプライバシーが尊重されているお国柄、昔から注意が払われて非常に少ないのだろうか?ルールという面から見ても日本では私の知る限りではモラル的な側面から非常に消極的にしか行われていない比較広告も、こちらでは堂々と名指しで競合メーカーとの比較を公にすることが一般的で、そう考えると非常に競争という面ではフェア(?)な分、そこには厳密なルールが存在しているのだと思うが、そのような部分で厳密さに欠く分、日本では個人のプライバシーに関する規範のようなものが今までなかったがゆえに、そこで発生する問題には目新しいという意味で話題性も相まって取り上げられやすいのかもしれない。たとえもイマイチで話も少し横にそれてしまったが、実はアメリカにおける機密保持に対する扱いはやはりかなり日本とは違うらしい。私の知り合いが、たまたま日本の大手シュレッダーメーカーの明○商会のアメリカ事務所の社長を去年から務めている。久しぶりにお会いする機会が会って、色々とお話をうががった。自分的にはきっとプライバシーと機密漏えいに関しては世界一神経質であろう国であるアメリカであれば、このような商品、売り上げも上々なのでは?と思ったのだが実は非常に苦戦しているというのだ。理由はその徹底ぶりの違いによるものだという。基本的にアメリカの企業は、そもそも従業員の入れ替わりも頻繁(レイオフなどが慣習的に行われているのにも関連)だし、派遣社員の使用も常識なので、社内の人間にこういった機密文章の処理などをまったくさせないというのだ。簡単に書類を「シュレッダーかけといて」みたいにお願いすることもなければ、自分自身でそのようなものを使って処分することもないないらしい。ではどうするかというと、このような機密に関する、もしくは廃棄する書類に関しては、外部から委託した会社に全て任せるそうだ。このような会社が管理する厳密に鍵のかけられるゴミ箱が支給され、そこに特定の人のみがこれらの書類を廃棄、そしてびっくりなのは、この委託会社が所有する、移動大型シュレッダーを搭載するトラックが定期的に会社に車を横付けして、これらの書類をシュレッダーにかけた上、全て処分まで引き受けるというのだ。なんという徹底ぶり!このような状況なので、シュレッダーは売れないのだという。おまけにこのような廃棄処理専門会社は、PC(HDD)からFDなどまで全ての廃棄を引き受けるという。思わず「ほ~」と思った。考えてみれば、こちらでは朝レイオフを言い渡された社員はそのままガードマンに付き添われて、机の上の私物のみをまとめさせられ、同じようにガードマンに付き添われて片付けが済んだら即座に社外まで見送られるのが普通だし、銀行の友人から聞いた話では、日本でも今は一般化しているという話を聞くが、銀行や証券会社なとお金に携わる会社では、従業員は強制的に1週間(か2週間)の休みを取らされ、その間にその従業員のPCの中身、メイルのや類取りからファイルの内部までを徹底的に調べ上げるという規則があるという。
やっぱりアメリカはその徹底度が凄いなというのが感想。まだまだ比較すれば知らないところでこのような機密保持に関する日本との違いが沢山そんざいするであろう。アメリカでこのような話題が少ないのは、やはりこのような徹底振りに起因しているのも事実だろう。
ところで、この機密文書廃棄処理専門会社だが、もう日本にはあるのだろうか?明○商会は、この社長のレポートを受けて、まさかこのような商売を始めるとは思えないし(当然売れ行きに直結するから)、もしかしたらNEWSで問題が騒がれれば騒がれるほど、このようなサービス、日本ではビジネスとしてはありかな?と思えてしまうが(もし既に普及していたらぜひ教えてください)…。
「おもてなしの経営学」を読んで
親友で、ITジャーナリストの湯川さんのブログに書かれていた中島聡さんの「おもてなしの経営学」という本が気になっていて、今回の日本で早速購入した。非常に面白い本で一気に読了。ソフトウェアの面から「ものつくり」に関してのUSE EXPERIENCE(おもてなし)の重要性を説いた内容で、もちろん、ものつくりが中島さんの場合には、コンシューマー向け、私の場合には、ビジネス向けではあるが、基本的には自分の商いの中心であるハードウェアの面からもまったく同じことが言えているという点では、色々と考えさせられた。
USER EXPERIENCE, 我々の業界では以前からUSER FRENDLYという表現がよく使われているが、使う側から見て「使い勝手のよいもの」が、製品の一つの重要な要素となるということはマーケティングの側面から見ても非常に重要な要素だ。これに加えてハードの場合には品質、サービス、価格という要因も重要になってくるのだが、製品は常に技術者の側面からの開発が中心になる傾向があるために、どうしても機能的にマニアックになる傾向があるのが常だ。中島さんは本書の中で「パソコン教室に通わなければならないような製品を作ってしまったこと」に対する真摯な気持ちを吐露している。そしてその気持ちが現在のアップルとSONYの現状に反映されていることを紹介している。会社の存続をも左右してしまうものつくりのコンセプトの本質がそこにあるという考えには非常に共感が持てる。
私が以前勤めていた会社のベストセラー商品は、技術的には決して優れたものではなかった。ある意味既存の技術をうまくまとめただけのものであったと思う。それが日本の製造メーカーの生産ラインに不可欠なものなって爆発的に売れて一時はシェア40%を確保していた。この背景を今になって考えてみると、日本中、そしてアジアの各国で採用されたわけは非常に単純で使い勝手がよかったのだろうと断言できる。その分、色々なメーカーに簡単にCOPY品を作られてしまったという経緯もあったのだが、先行逃げ切りで会社をIPOまでこぎつけられた。少し違うかもしれないが、これも中島さんの言う「おもてなし」のコンセプトに共通していたと思う。
話は変わるが、今回訪問した会社の役員たちと群馬県は富岡の老舗料亭で食事をした。その夜のお客は我々だけでお世辞にも繁盛しているようには思えなかったが、富岡製糸場の隆盛に呼応して80年の歴史があるという。料理が運ばれるたびに女将と歓談したのだが、したたかにビールを飲んで帰り際にトイレに立ち寄ると、こんな額がさりげなく飾ってあった。
日本に昔から存在するおもてなしの極意というのは、まさにこういう事だったのではないかと思う。長い間のアメリカ生活で忘れかけていた、サービスの粋に感動。このような素晴らしい「おもてなし」の技を本来習得しているはずの日本を代表するSONYが、簡単にAPPLEにお株を奪われてしまったのは、I-PHONEのときにも書かせてもらったが、本当に不甲斐ない気がしてならない。
IT世代の新入社員から思った事
4月はちょうど新入社員たちが新天地での生活をスタートさせる時だ。たまたま、そのタイミングで日本に来ていて、色々なNEWSでその光景を放送していたり特集を組んだりしていた。今年の新入社員たちは総してIT世代だという。子供のころからTVゲームにいそしみ中学に入ると普通に携帯電話が友人たちとの交流手段の中心になり、PC上でのネットワークで情報収集をすることが基本となっている世代。そのために各企業では、新人研修に新たなメニューを準備しなければいけないという。それは本当に基本的な礼儀作法や敬語の使い方、そして社会人としてのマナーなどだそうだ。本来であれば人と人との交流、目上の人との関係、そして成長していく上である程度、自然に身についていくべきことが欠如(極端な表現だが)している若者たちが多いという。実際にTVで放映されていた新人研修会社では、基本的なビジネスマナーのならず、挨拶の仕方から敬語の使い方までを教えるコースが、一人当たり7万円という費用にもかかわらず盛況だと紹介されていた。つまり採用した会社側でも新入社員のそのようばキャラクターを憂慮していると思われる。そして書店においても、ビジネスマナーのハウツー本や敬語の使い方、社会人としての基本的な知識などの本が特設コーナーに山積みされていた。
基本的に超体育会系人間の私にとっては非常に古臭いとよく言われるし自分が完璧だとも思わないけれども、残念ながら言葉遣いができないとか基本的なマナーを身につけていない人との交流は非常に苦手だ。ついつい億劫になってしまう。でも、そう考えると、この先IT世代の若者たちが、その知識と環境と才能を駆使して、世の中を覆すようなインフラやビジネスや環境を作っていく可能性が十分にある将来に於いては、もしそれが礼儀とかマナーの無いものであれば自分には適応できない部分が多々出てくるのではないかという心配も無いわけではないが、今まで営業という職種を20年以上も続けていると、確かにITのおかげで情報の伝達や営業活動も楽で効率よくなった点や、この先、益々そのIT偏重の傾向が増してくれば増してくるほど、逆にフェース トウ フェースの重要性がさらにクローズアップされていくような気がしてならない。
在米20周年
自分の記憶が確かならば、今から20年前の1988年4月5日に私は始めてアメリカ本土に上陸した。それから20年のアメリカ生活。本当にあっという間だったという感じがする。2年間の韓国担当を経て、アメリカに来て仕事を始めた1988年は、ちょうどソウルオリンピックの年で、いいタイミングで韓国を離れてしまったことを後悔したのを覚えている。そして英語もそこそこ勉強して少しは自信があったのに、アメリカ行きの機内で、得意げに「COKEプリーズ」と言ったはずなのにコーヒーを持ってこられ、この先大丈夫だろうかと妙に不安になったのが昨日のように思い出される。
当時のアメリカ、シリコンバレーは、日本より一足先に軽いバブルが終わって少し混沌としていた時期。UNIXベースのサンマイクロが破竹の勢いでサーバー市場を凌駕し、アジアの安いPCがこれまた凄い勢いで市場を席巻し始めていた。そして既にその地位を確立していたアップルがMS-DOSに押され衰退を余儀なくされ創立者であるスティーブジョブスが自らの会社を去った年だったと記憶している。当時はまだPCもモノクロのCRTで、ソフトウェアではワードスターやLOTUS、DB3などが主流を占めていた。
その頃から90年代初頭にかけて、テレフォーニーという技術が急速に普及しはじめ、会社に電話をしても殆どの場合、個別のメッセージで「最近の営業は電話の機械にメッセージを残して終ってしまう」とアメリカ人の営業担当がこぼしていたことを記憶している。今になって思えば、このテレフォーニーに不可欠な小型の交換機の技術が後に来るインターネット時代に不可欠なROUTERの技術の布石になっていたのではないかとも考えられる。
1995年あたりから交換する名刺にぽつぽつとメイルアドレスを見かけるようになってきたと思ったら、その後一年も経たないうちに怒涛のようなITバブルの幕が上がり、当時唯一ROUTERの生産をしていたCISCOシステムの株価が1997年の1年間で75倍になり、ZIPドライブのI-OMEGAの株価は50倍。そんな会社がざらにあってNSADAQ市場は空前の活況を呈し、周りに株成金やスタートアップで一山当てたにわか成金が現れ始めたり、友人のボーイフレンドで、パーティをすると彼女と一緒によく遊びに来ていたジェリーが、YAHOOを立ち上げて新聞の一面に登場したりと、何か自分のよくわからないところで、ものすごい流れが巻き起こっている印象があって自分もこればぼやぼやしていられないなあ、と思っていた矢先の98年に親会社が何と倒産。アメリカオフィスも清算を余儀なくされ、その当時現地法人の社長だった自分は、その業務に奔走して精も根も尽き果てボロボロになって、「これはもうやってられないな」と思い、1年間コスタリカあたりに行ってスペイン語の勉強と毎日サーフィンをしながらのんびり暮らしてみようと計画していたのに、友人たちに相談したら「お前馬鹿か?シリコンバレーはドッグイヤーだぞ。1年で7年先に進むんだ。おまけに今は一攫千金のチャンスがごろごろしてるのに、何でここを去るんだ?」と説得され、自分の周りの成功している連中を目の当たりにすると「そうかなあ?」と思い、自分ももしかしたら…などと単純にその気になってしまって、夢にまで見ていたコスタリカ行きをあきらめ、その旅行資金を元手に99年に会社を設立(本当にいいお客さんに恵まれたおかげで会社をスタートすることができた)し自宅の一室で業務をスタートしたのが1999年だった。
ところがその年の後半にITバブルの崩壊…。幸か不幸か、IT産業とは、ある意味縁のない製造業に近いところで商いをしていた関係で、恩恵もこうむれなかったけれども損害もうけず、2000年からは本当にがむしゃらに奔走して今日に至る。という感じである。
アメリカに来て、それもシリコンバレーという環境で仕事ができたということは本当に自分にとっては素晴らしい経験だったし、90年代後半のITバブルのゆりかごから墓場(ちょっと言い過ぎだけど)までを傍観者としてみることができたことも何事にも変えられない貴重な体験だったと思う。そして今、本格的なWEB時代を迎え、その中枢を相変わらずリードしているこの地で、この先をどう生きるべきか?自分としては尊敬する梅田さんをはじめ、ここで得た多くの知人や友人たちの知恵と英気を十分に租借して、新たな展開を試みながら当分は頑張っていきたいと考えている(スミマセン乱文ご容赦ください)。
円高
ここのところの急激な円高により本当に憂鬱になることが多い。特にすべて輸入、それも円建てで商売をしている弊社にとってこの円高によって乗じる差損は深刻だ。一番恐ろしいのは、その円高に推移するスピードである。ちょうど1月ごろに受注し、2月に納品を完了した商品の支払いがこの3月。つまり、受注したときに作成して客先に提出した見積書は、当然その時のレートで換算しているので、大体1ドルが115円ぐらいだったものが、いざ支払の今の段階では100円を切る状況。つまり1ドル当たり15円のロスとなっている。10万ドルを超える支払いで生じるロスは単純に日本円の150万円。これだけの純利益を稼ぎ出すためには、最低でも1500万円の売り上げが必要になることを考えると、いままでの苦労が一瞬にして水の泡になってしまったといっても過言ではない。加えてうちのような小さな会社にとっては、これはかなりの大金である。。。だからこそ、というと後の祭りではあるが、やはりそのリスクを考慮した対応、そして準備を常に心がけていなければならない。まず第一に市場を見る目だ。この先為替市場がとどうなっていくのか、もちろんそれを見極めるというのは至難の業であり、少しの経験では予測などできるわけないのだが、もう少し気を配ってこのあたりにも敏感になれるセンスを身につけておけば事前の為替予約や社内レートの変更を含めた事前の対応を取ることができると思う。もうひとつはバランスだ。今まで輸入中心のスタイルで事業を進めているが、アメリカから日本へ輸出できるような商品の開拓も、これからは常に考慮していかなければならないだろう。輸出事業がが軌道に乗れば円高のときには強い柱となってくれる。このようにしてバランスを保てるようなビジネススタイルの確立を真剣に確率していく時期に差し掛かっていることを認識するには最高の機会になった。ただその分の代償はかなり大きなものになりそうだが…。
カーエレクトロニクスの将来性
先週は久しぶりに中西部へのトリップ。テキサスは南端のマッカレン(メキシコのレイノサ)を皮切りに、テネシー、アトランタをまわってきた。基本的にこのあたりにあるお客様はいづれもカーエレクトロニクス関連。車載電装品のメーカーが中心だ。それにしても値段の下落がはなはだしいコンシューマー業界とは異なり、こちらのメーカーはどこも大忙しだ。これだけガソリン代も高くなるとやはり経済的な日本車の需要は高まるばかり。各社ともその自動車に搭載するアイテムの生産に追われている。やはりカーエレクトロニクスの強みは、この先どんどんと新しいものができる可能性があるということに尽きる気がする。特にガソリンに頼らず将来的には太陽電池など次世代の燃料の搭載が不可欠になってくれば当然車の電装率も高まってくるであろう。そして新たなテクノロジーの搭載という面でもその可能性はさらに広がると思われる。今回訪問したカーステレオメーカーが生産する商品には何と高級車向けにノイズキャンセレーション機能(最近ヘッドホンでよく見かけるマイナスの周波数をかけて騒音を中和してしまう機能)まで搭載されているそうだ。これによりエンジン音や風切り音はもとより外部からの騒音をなくしてしまうとのこと。凄い!別の知り合いの会社では脳波センサーの開発をしているのだが、このセンサーも将来的には車のシート(ヘッドレスト)に搭載され、眠気や注意力散漫を防止する機能を持たせることが可能らしい。当然、これらの生産自身も将来的には車載電装品メーカーの手にかかってくることを考えると、車の進化に伴って今後ますます需要は増え、必ずしも楽観視はできないが、将来性はかなり明るいような気がする。
ソフトウェア産業の行く末は?
ソフトウエアプログラミングではスパークリエーター並の凄い友人がいる。彼はだいたいエスティメートで月ベースで$数万ドルクラスの仕事をこなしているのだが、ある日、この手の仕事の相場に興味をもち、「恐ろしいサイトを見つけた!」と興奮気味に話してくれた。そのサイトというのがこれhttp://www.getafreelancer.com/。ソフトウェアの仕事に関する入札(オークション)サイトだ。企業主が無記名で日雇い、もしくはプロジェクトベースの仕事を公開する。それに対して、世界中からその仕事に対するBITが始まる仕組みだ。たとえば、あるソフトウエアの仕事があって予算として通常の時給換算で月100万円の予想を立てたとする。しかしながらその仕事は、その国の相場で考えられているわけだから、仮に月1万円もあれば十分暮らせる国の天才プログラマーが、生活費プラスαで、この仕事を2万円でBITすることも可能なのだ。当然、同じ国でも学生がアルバイトで、また会社勤めのエンジニアが副業でBITすることもまったく問題ない。こうなってくるとソフトウェア開発という仕事に関して言えば、ますます低価格化が進み、産業自身の構造が大幅に変わってくるようになるだろう。大手企業の経理担当の友人が以前はなしていたが、その会社のサーバーやイントラネットを構築する際には、そのハードの倍以上の金額をソフトの開発に費やしていたそうだが(もちろん大手がまとめて受注しソフトの開発はすべて外注展開をし、その差額を搾取しているものと思われるが)、こういう構図も将来的にはなくなるかもしれない。
最近携帯端末のOSとして発表されたGOOGLEのアンドロイドもベースはオープンソースで元は無料のLINUX、対抗馬のLIMOも同じくLINUXベースで、いままでハードの開発に比例して新製品の開発費の大部分を占めていたであろうソフトウェア開発という出費は、どんどんなくなってくる状況が今後は益々一般化していくと考えられる(その割にいろいろなものは安くなってない気がするけど)。
そうなってきたときソフトウェア産業というのはこの先どうなっていくのだろうか?興味津々。