10年前の1月19日に自分の会社を設立した。スピンアウトとか起業というと聞こえはいいが、そのきっかけは勤めていた会社の倒産によるところが大きい。その前の10年間はこの会社のアメリカ現地法人の駐在員としてアメリカ駐在。1995年から同社の代表を務めていたが、親会社は倒産する1年ぐらい前からだいぶおかしかったので(毎月銀行残高の半分を送金しろとか、やたらと意味不明の要求が増えてきた)、倒産する2ヶ月前に社長の座をおり、自分でレップとして働く事を決めていた。私の代わりに日本から新しい社長が赴任してきて間もない1998年の9月30日に親会社の倒産第一報が入る。海外の現地法人ゆえ限られた情報しかない中で真相を確かめるという名目で日本に帰った新社長は、そのままトンずらし、唯一残された私がなぜか責任を取らされる羽目になり、親会社の倒産に伴い日本の裁判所の指示でCLOSEすることになった現地法人の清算業務に携わった。会社を作ることが簡単なだけに清算業務は想像以上に難しい事を痛感(でも素晴らしい経験になった)。結局3ヶ月以上かかって何とかその作業を乗り切ったが、その間も客先への報告回りや今後の対応に関しての説明に奔走していた。そして今までお世話になった客先に迷惑をかけられないとの思いから自分でそのサポートを始めるべく会社を設立したのが1999年の1月19日だった。
最初は勿論事務所をもつ金もないので、空いていた自分の家の一室でスタート。前の会社から少し引き継いだ備品などは自宅のガレージに保管した。その先3年間はHOMEオフィスで業務を継続。本当に公私のない日々だった。それにしても自分は本当にいいお客さんに恵まれたと思う。倒産した会社の人間など、普通は相手にもされないのに、殆どの取引先が信用のない自分の会社に快く口座を開設してくれた。手形というシステムのないアメリカだからこそ資金繰りにも苦労せずやってこれたのだと思う。4年目に初めて知り合いの会社に間借りのかたちで事務所を移り、色々なこともたくさんあったけれども今まで何とかやってこれた。会社の規模は設立当時と殆ど変わっていない。そういう意味では会社としての成長は無いかもしれないが、少なくとも自分の生業として10年間喰うに困らず生活してこれた事には満足している。
さて、この10年間を懐かしく振り返る余裕など無く、次の新しい10年をどうするかについて真剣に考えなければならない。100年に一度と言われる大不況の中で迎えた10周年。確かに昨年は弊社も大幅減益を余儀なくされてしまった。人員の削減もせざるを得ない状況になった。加えてビジネス(事業)の寿命という点から見ても10年が一つの節目であるという話を昨年の夏に梅田さんから伺い、その当時徐々に鮮明になってきたアメリカ大不況の様相と相まって、早く色々と新しいビジネスについて考えていかなければと思っているうちに急激な円高で業績が急激に悪化。その状況にまったく余裕が無いまま年が明けてしまった。
それではどうするか…。年頭のブログにも書いたのだが、とにかく今年は「状況に順応して柔軟に生きる」ことを目標としたい。受注が減って仕事に余裕ができてしまった分は、いままで余裕が無くてできなかったマーケティングや新規事業に向けてのリサーチに使おう。円高の状況が変わらないのであれば、日本への輸出を含めたビジネスの展開に目を向けてみよう。とにかく何事にもTHINK POSITIVEで忙しくする事によってきっと何かが見えてくるはずだ。10年前、会社を設立した時は本当に何も考えていなかったと思う。会社が無くなって「どうなってしまうのだろう?」という不安以上に「どうにかなるでしょ」みたいな気持ちが強かった気がする。ちょうどその翌年シリコンバレーではITバブルが崩壊し、これまた深刻な不況だった筈なのだが、当時は本当に「タイムラビット(とよく言われた)」のように落ち着き無くあちこち走り回らずを得なかった状況だったので、まったくといっていいほどその不況の中にいた実感がない。さすがに今回は自分の会社の経営を揺るがすほどのインパクトがあるのだが、当時のパッションを再び踏襲すべく、できるだけ前向きに立ち向かいたいと思っている。
これまた偶然にも1月20日にはアメリカの新大統領が就任する。オバマ氏は私と同じ47歳。誕生日も一日違いの8月4日(私は3日)生まれだ。おまけに今年は年男ときている。私の方から一方的にかなりの親近感を持っているのだが、そんな彼が未曾有の大不況、問題山済みの中東を中心とした国際情勢。そして混迷を極めるアメリカ経済の建て直しに「YES WE CAN」のスローガンを掲げて立ち上がる。私も立場はまったく違うが負けてはいられない。彼のチャレンジを少しでも見習い自分の支えにして今年から始まる次の10年も疾走してみたい。
Archive for Yoshi Endo
10周年
2009年をどう生きるか
08年、サブプライム問題に端を発した金融危機による大手金融機関の倒産から波及した景気の冷え込みは、後半一挙に加速し、今まで不動と言われたアメリカ自動車業界(ビッグ3)が破綻しかねないという前代未聞の状況を生み出し、加えて加速する円高による日本企業の業績不振、そして中東を中心とした情勢不安は拡大の気配まで見えてくるという不安な世相を踏襲したまま2009年は幕を開けた。とにかく去年は特に後半、青ざめるほどの急激な円高に生きた心地がしなかった。為替の問題は常にここでもテーマにしているが、すべての仕入れ先と円建てで商売をしている弊社にとっては一番重要な問題であることに変わりはない。10月からの急激な変動で3万ドル近いお金がまるで手品を見ているように右から左に移ったとたんに消えてしまった。3万ドルの利益を上げるためには最低でも10倍以上の売り上げが必要になる。30万ドルを売り上げるということは並大抵の苦労ではない。本当に大枚の入った財布を無くしてしまったような感覚だ。12月の決算で、なんとか年は越せる目途はついたものの、この先の状況は大半がさらに悪化の予想で本当にどうなるかという不安ばかりが先行してしまうと言っても過言ではない。で、今年もさらに進むであろう、この円高の状況をどう乗り切っていけばよいのか?少なくとも去年までは為替のヘッジが可能だったので、大型の案件であれば事前に予約を入れるという対応もとれたのだが、なんと昨年の後半からそれもできなくなってしまった。ということは極端な話、なす術がないわけだ。
こうなってしまったらもうどんなにあがいても仕方がない。為替相場だけでなく景気の状況もよく見極めたうえで、それに順応した生き方を見出し、かつ戦略を立てて柔軟に対応していかなければならない。とにかく今年は市場の冷え込みも半端ではない。でも必要なものは必要だし、こういう時期こそ今まで忙しいがゆえに目の届かなかった品質管理体制の見直しや修正予算の削減などに本格的に取り組むよいチャンスであるということを前提に客先へのアクションアイテムを吟味していきたい。
巷では「100年に一度の大不況」といわれる2009年。この不況の状況だけを見て不安にうずもれてしまうか、それとも、この100年に一度の経験ができることをラッキーと考えて行動するかによって、将来は大きく変わってくると思のだ。
ビッグ3への救済劇をみて思ったこと
またまた1か月近くブログの更新ができなかった。実は自分にとってのビッグイベントのおかげで仕事もままならない状態が続いていたのが本当の理由なのだが、それにくわえて景気の低迷、とりわけ円高のおかげで深刻な状態に陥ってしまい非常にあわただしくしていたのが、ますますこのさぼりに拍車をかけてしまった。
さて、12月も半ばを過ぎ、今年もあとわずかになった。アメリカの不況は本当に悲惨で金融各社の破たん劇に次いでBIGなニュースになったのが自動車業界、とりわけビッグ3への救済劇だった。11月より話題に上り始め、一回は否決された救済策がブッシュの後押しにより最終的にはクライスラーとGMに対して約1兆5000億円の短期融資が決定したのが先週末(19日)の話だった。確かに彼らが倒産すればその波及効果は、20万人といわれる従業員の失業みならず世界中の協力企業や関連業種へと広がることは免れず、これを機会になんとか復活してもらいたいものだが、果たしてうまくいくかどうか。これからが本当の試練ではないかと思う。エグゼクティブがいままで普通に得ていた数億円の報酬ををあきらめることは、たやすいことだろう。しかしながら長年培われ踏襲されてきた会社の体質や姿勢、従業員を取り巻く環境、そして肥大化して権力を持ちすぎた労働組合の存在などなど、はたして本当に再建に向けてこれらのベクトルが同じ方向に動き始めるかどうか。これが非常に大きなカギになるのではないかと思う。
私にはアメ車に関して忘れられない思い出が2つある。いづれも20年ちかく前の話になるが、ひとつは1988年に最初に会社を設立した際、社有車として新車で購入したGMのビュイック(確かセンチュリー)の水温計に針がついていなかったことだ。最初は針が水温に伴って上昇してこないのかと思った。で、よくよく見ると針がついていなかった。もちろん針がとれておちた形跡もない。早速ディーラーにクレームに行くと「あ、そうですか、すみません。すぐに交換します」と、何とも事務的に処理された。その時の対応が本当に「まあよくあることなので」的な感じを受けたので、針がついていないものが市場に出てしまうという信じられないお粗末さの品質管理はもとより、それを当然のごとく処理するディーラーの対応が、かなり印象深く、いまでも忘れることができない。そしてもうひとつは、当時(たしか1989年ぐらい)私の販売していた品質管理用のテスターの売り込みにGMの電装品生産最大手だったDELCOエレクトロニクス(インディアナのKOKOMOという町だった記憶がある)行った際、製品のプレゼンをして、「弊社の製品の最大の特徴は、その信頼性だけでなく、すぐれた性能により、検査工程の人員削減にも貢献します」と説明したところ、担当マネージャーから「あ、うちは人を削減できるような製品は組合がうるさいから導入はむずかしいな」と、はっきり言われたことだ。自分の今までの理解では自動化により人員の削減ができるということは、設備導入(選定)では最重要な条件だという認識だったのに、その特徴があっさりと否定されてしまったことに、驚きというより「へえ、こういう考えもあるんだ」と妙に感心し、これまた強く記憶に残っている。どちらの話も20年も昔の話なので、もちろん未だにそんなことはないと思っていたのだが、今回、救済が必要なほど業績が落ち込んでしまった背景には、相変わらず同じような品質管理、同じような組合の存在といった状況がそのままなのかな?などとも考えてしまった。まあ、この考えが正しいかどうかは今後の彼らの立て直しが本当に、うまくいくかどうかにかかっていると思うのだが、少なくとも昨今の自動車販売台数のベスト10の車種の中にビッグ3の車種が一台もないという現状が変わらなければ立て直しは難しいと言わざるを得ないというのが正直なところだ。
三河屋を再考する! -次世代マーケティングプラットホームを読んでー
湯川さんから贈呈していただいた「次世代マーケティングプラットホーム」を遅ればせながらようやく読了した(湯川さん、時間がかかってしまって本当にすみませんでした^^;)。まず率直な感想は、「もうすでに広告業マーケティングの分野というのはこんなところまで来ているのか」ということだった。この本には従来の広告媒体であるテレビや新聞、雑誌というものは出てこない。フォーカスされているのは勿論トレンドであるインターネット業界の話が中心だ。GOOGLEをはじめ、SNS、ポータル、ブログの運営サイトなどなど、基本的には、どこもビジネスモデルは旧来の媒体と同じ広告収入であり、その域を出るということは容易ではない。ではその中でどのように効率を上げ、かつ効果のある広告を打つことができるが、どれだけ的確に購買層を抑え、広告主の売上と利益の向上に貢献できるかというのが、これらのサイトの運営側の営業力になると思うのだが、そのためのツールや解析方法、データベース、ネットワークといったお膳立てを専門にする会社が既に存在し、それらのテクノロジーを駆使して、上記の「広告主の費用対効果」を満足させる経営を行うことが必要不可欠になっている現実、そしてそれらが今後どのように発展し究極の目標である「ワンtoワン」広告に近づいていくかという状況を見ることができた気がした。そして、その手法はWEBの域を出て、モバイルやデジタルサイネージにも広く波及し、それらが又独自の進化を遂げつつある点、非常に興味をもった。 サイネージにおいては、そこに映る人の認識まで行い、それに応じてサインの内容を変えるなど、とてつもない(?)技術まであるというのが驚きだった。というか、いつもこの手の本を読むと思うことは自分はシリコンバレーにいながら何でこのようなことが今まで全然知らなかったのか、ということだ。物凄く目からウロコの感動がある反面、相変わらず視野が狭くて情けない自分を感じでしまう。。。
さて、一連の技術革新に伴うマーケティングの手法が変遷していくなかで、当然このような技術を利用でき、かつ広告と打つことができるというのは、営業企画や宣伝広告費をしっかりと確保できる企業や会社に限定(SALESFORCEやOMMUNITUREのサービスも当然有料だ)されると思うのだが、これらが我々のようなマイクロ企業にはどういうインパクトになっていくのだろうか?ここから何を学んで、これをどう考えていけばいいのか?ということが自分にとっての結論となるわけだが、従来通りの営業プラスWEBによる宣伝と物販といった現状できるマーケティングと営業戦略において、このような近未来のテクノロジーがあると言っても、この域から飛び出すことは、やはりコストというぶ厚い壁のために非常に難しいと思われ、最終的には現実的に自分とは関係ない世界の話だな。というのが正直なところなのだが、ひとつ非常に感心したというか印象的だったのが「テクノロジーを使った、きめ細かなサービス=三河屋さん的サービス」という考えだ。そうだ、これは我々日本人が、本来最も得意とし、これを軸に自分達の生業を維持してきたという基本的な営業戦略ではなかったか。それが湯川さんの言う「時代の流れ、マス文化によって失われてしまったもの」であり、ここへきて再び「この失われたものをテクノロジーを駆使して取り戻すことがIT革命の本質」とまとめられているが、これはテクノロジーを駆使する前に営業を必要とする者の心得として先ず取り戻すべきものであると痛感した。これだけせちがない世の中。家電をとってみれば乱立する大型量販店を尻目に、厳しさはあるものの黙々と経営を維持する町の電気屋さん(三河屋さんと同類)のマーケティング活動が、実は最新のハイテク技術を駆使して目指すマーケティング活動の究極のゴールと同じだという点は、もちろん町の電気屋さんの限られた顧客と市場に対するものとは異なり、後者の方は一般の大きな市場を対象としている点に大きな違いはあるのだが、非常に面白いと思う。そしてこの「広告やマーケティングなどの企業活動の究極の姿」といわる三河屋さん的な顧客対応であれば自分にもできる。ある程度顧客の数や規模が増えても、それこそインターネットを利用して、その分を補うことは別に高価な機器やサービスを利用しなくても十分に対応できるはずだ。このあたりをもう一度この原点に立って考え直してみよう!と、ずいぶん本書の目指すところとは、自分の結論はかけ離れてしまったようだが、この部分の啓発を与えてくれただけでも本書は自分にとって十分価値があったと思う。そんなわけで湯川さんが言われている「広告関係者はもとより、ウェブビジネス関係者や、一般企業の経営企画などに携わる人たち」に加えて、最新のマーケティングの現状を知るだけでなく、そのような時代にどうすべきかを啓発してくれる点で起業家や小企業、そして個人事業主の皆さんにも、この本はぜひお勧めしたい一冊である。
P.S.おまけですが、この本を読んで内容とは別に少し考えたことは、いつもここに行きついてしまうんですが、本来日本人が最も自然に取り入れていた三河屋的マーケティングが、これまたアメリカの企業を中心とした日本以外の企業によってビジネスモデル化されて、この分野でもイニシアチブを持っていかれてしまっている現状(この本には日本の会社は一社も出てこない)は、やはり日本人として、他のプロダクツ同様ちょっと残念でさみしい感じがしてしまいました…。
お疲れ様!
GOOGLEの大胆計画を垣間見る
このところの景気後退、それに加えて強烈な円高による利益の縮小。とにかく今年は本当に大苦戦を強いられている。下手をすると会社の存続にも影響しかねない状況にかなり頭を抱えている。そんな中、かつての上司でいまはGOOGLEのアカウントマネージャーであるI氏とランチをともにした。はたしてGOOGLEのような大企業は、このような状況をどう見ているかというと、「楽観視はしていないが非常に興味のある状況で、間違いなく次のビジネスチャンスになるであろう」との見解。ただ非常にいい機会なので、プロジェクトの見直しや人員の削減等会社のシェープアップを並行して行っているとのことだった。自分はこんなに打ちひしがれているのにいったいどういうことかと問いただしてみると、まず大企業においては景気が低迷して来ると最初に削減や見直しを課せられるのが広告宣伝費であり、今までTV広告などに惜しげもなく大枚をはたくことができたのに、その縮小のために新たな見直しを迫られ、そのような既存のPRよりも、実はかなり安価で効果を上げることができるであろう「連動検索型広告」により強い興味を持ち始めている状況で、その引き合いが増えてきているとの事。そのために既存のビジネスモデルは多少の動きもあるものの、今後も堅調に推移していくだろうということだった。う~ん、なるほど。確かに今後激変が予測される、新たな広告マーケティング市場の変革に、昨今の状況はかなり寄与しているようだ。
加えて現在、売上の5%にも寄与していないYOUTUBEが、この先さらに細かく市場のニーズにマッチしたトラフィックの構築には不可欠だとの話も伺った。具体的なことは聞けなかったが、2000億円の大枚をはたいて購入した会社を収益型モデルの先方としてこの先どのように変えていくかは興味津々である。そして今年発売されたG-PHONEと搭載OSであるアンドロイドは来年以降間違いなく爆発するのではないかというのが同氏の大胆予測。これは非常に信憑性もあった。彼の見解はI-phoneなどの隆盛によって、PCに依存する部分が実は携帯端末で十分に補えるという認識が浸透したため、これだけ景気が悪くなると高額商品、特に安くなったとはいえ$7~800もするPCには目もくれず$200で手に入る携帯端末を購入するようになる。このような状況が今年のクリスマス商戦で顕著になれば、当然PCの大手、DELLやHPもその矛先を変えて携帯端末市場に参入してくることが考えられ、それに加えてACERをはじめとした台湾勢も$500PCよりもさらに安価な通信機能付きのPCモデルの供給をスタートする可能性がある。その際にGOOGLEのOSであるアンドロイドを採用してくれれば、すでに彼らのマーケティングTOOLが山のように搭載された同OSを利用して、そのような端末を利用しているユーザーに対して、今後は年齢別、環境別、性別などの細分化された広告など、さまざまな手法で広告業界のアドバンテージを取ることができる。という見解だった。なるほどすごい!もちろんそれは天井知らずの資金力があってこそなせる業でもあるのだが、その遠大な計画は非常に興味深かった。今はだいぶ株価も下がっているけど来年のGOOGLEの動向は本当に乞うご期待!っと、その前に自分のこの先をまず真剣に考えることがファーストプライオリティだった…。トホホ~
少し前の話だけど…。
9月の日本行きの際に長野でブドウ園を営んでいる友人のところへお邪魔した。彼とは90年代にアメリカで共に遊んだ仲だ。彼は日本に帰国後、20年近く(?)務めた大手証券会社を辞め、家族とともに長野で農業を志し、まさに40の手習いでブドウ栽培を始めた。
ちょうど9月は収穫の真っ最中。台風一過の素晴らしい青空のもと、見事に実ったブドウが本当にまぶしかった。味もまた格別。奥さんとともに作業にいそしむ姿は何ともうらやましい感じ。それにしてもわずか2年でこんなに素晴らしいものが作れるのは、もちろん本人の並々ならぬ努力もあると思うのだが本当に感動的だった(今頃は巨峰のジャムやジュース作りに忙しくしていることと思う)。
ここのところの金融不安、軒並み大手証券会社の倒産や、銀行の統廃合、そして世界的な経済悪化のはざまの中で胃の痛い思いをしながら翻弄される人生を考えればそれこそ最上の選択だったかもしれない。かくいう自分もそんな嵐に巻き込まれ、相変わらずもがいている身の上。。。確かに世の中の景気が悪くなれば一次産業にも影響は出てくるだろうが、そんな中で自分の意思と違うところで翻弄されずに生きることができる彼の選択は、自分にも一考どころか熟考を与えるに十分値している。
からくり冶具
ここ最近の極端な株安、それ以前から続いている種々問題で本当に景気は深刻な状況だ。薄型TVで韓国の列強に追従しているS社は、本来であればクリスマス商戦に向けて一番忙しいはずのこの時期、金曜日の生産をストップし週4日の生産体制になった。いままで前の会社時代から10年以上御世話になっていたアトランタにあるP社の車載電装品工場もついに閉鎖しメキシコへの移管を決定。そして、年末にかけていくつかのプロジェクトを計画していた同じ電装品メーカーであるA社もそのすべてのプロジェクトを凍結した。本当にNEWSで見ているだけではあまり実感がわかない不景気というながれがここにきて一斉に自分のビジネスに影響を及ぼし始めた。そんな中、訪問したお客さんといろいろな話をしたのだが、生産に関しては、やはり設備投資は今の状況では無理、しかし全体的な経費削減のために人員削減以外に、歩留まり向上に貢献する対策を考えなければならないので、現在、総力をあげて知恵を絞っているのが「からくり冶具」の発案と製作だそうだ。このからくり冶具、いいかえれば普通の冶具なのだが、金をかけずに確実に効果を発揮するというコンセプトが第一条件で考えられているという。もちろん常日頃から行われているKAIZEN活動の延長線上にあるものなのだが、金をかけないということろに一つポイントがあるようだ。というわけで最近考え出されたこの「からくり冶具」のいくつかを紹介してもらった。残念ながらここで詳細は書くことができないのだが、見てくれにこだわらない非常に単純な原理で、かつ本当に効果がありそうなもので、かなり面白かった。潤沢に予算があれば出来合いのものを購入したり、見てくれなどを機にして材質に凝ったりすることができるものが本当にシンプルに、無駄なくきれいにまとまっている感じがした。「お金をかけない」というこのが大前提なので、このアイデアの数々は自分の商いには縁がないのだが、このような地道な活動が実は日本の強みであって(欧米のように単純に経費削減イコール人員削減ではないという考え)、本当の「ものつくり」の根底には、このような発想や製作が常にあるような気がして、これならまだまだ日本の「ものつくり」もいけそうかな?という気持ちになって自分もすこし元気になった気がした。
サンノゼ空港の粋
何と仕事にかまけていた(?)ら、2カ月ぶりの投稿になってしまいました。どうもスミマセン。
先ごろ(と言ってもだいぶ前ですが…)、サンノゼ空港から出張に出かけたら、何とサンノゼ空港は全エリアで無線ラン(WIFI)がタダで使えるようになっていた。さすがシリコンバレーの中心であるサンノゼ!これはかなり粋な計らいだと感心。いつも空港に行くと私のような、月一トラベラーの場合は、そのつど空港にてテンポラリーのサービスを使用するために、1時間単位で課金(8ドルぐらい)されてしまうし、いちいちアクセスのプロセスをするのも煩わしいのだが、それが不要というだけでうれしい。それにしてもこの計らい、かなりしたたかな部分もあると思えた。当然最初に開くのはサンノゼエアポートのホームページで、その紹介が中心なのだが、彼らとしては、そこに広告スペースを設けて近隣のホテルやレストランからの広告で利ザヤを稼ぐことも可能になるだろうし、何より、その中でサンノゼの魅力を存分にPRできれば、将来的な利益につながってくる可能性もあるわけだ。そしてこれだけの理由でもサンノゼ空港をトランジットに使用する客が増えるかもしれない。。。もちろん先行投資に対する効果もあるからサンノゼ程度の空港サイズなので可能なのかもしれないが、やはりここにマーケティング戦略を垣間見た気がする。
これに加えて凄いと思ったのがサウスウェスト航空で、何とこのフリーWIFIを利用する客のために専用のテーブルを各ゲートごとに接地。やりますな!同じターミナルのアメリカン航空のゲートにはもちろんそんなものはない。経営状況を物語るような光景だがさすがサウスウェストと思わず唸ってしまう。
「パラダイス鎖国」を読んで
2週間ほど前になるが、「パラダイス鎖国」の著者である海部美知さんの講演会にお邪魔した。彼女の本に関しては友人の湯川さんから「こんな本でたで~えんちゃんがいつも言ってたことや」と紹介された記憶があったのだが残念ながら、なぜか今まで読むタイミングを逃していた。今回の講演では、主に通信の立場からみたネット世界に関しての内容が中心だったが、本音をいうと自分としては海部さんを一目拝見したかったのと(失礼)、著書である「パラダイス鎖国」という本の中身に関することも少しは話題に上るのかな?という点に実は参加の目的があった。
さて会場で早速本を購入し(サインも頂いてしまって恐縮です)、ちょっと時間が掛かってしまったが数日前に読了。先ず結論を述べると、かなり面白くかつ感心した。というのは自分が1999年に起業してから感じてきた「日本」のあり方が実に的確に、そして端的にまとめられていたからだ。本の内容は「住みやすく、ビジネスもしやすくなった日本がゆえに日本人は海外にあこがれも興味も無くなってしまった」という現状と、その結果として世界の中から孤立していく状況、そしてその状況を将来的にどう打開するかの指針という構成だが、これが自分が今までもやもやと感じていた日本という国に対する不信感というか危機感を見事に表現し、かつ自分には見出せていなかった将来的にどのように打開していったらいいのかという答えにもなっていると思った。そして自分の中にあった大きな疑問、1990年の初頭、私の元いた会社は、OKI、MITUBISHI、PANASONIC、NECをはじめ多くの日系携帯電話(当時は自動車電話も含まれる)メーカーのアメリカとメキシコの工場を相手に商売をしていたのだが、1996年を過ぎたころから本当にスッと潮が引くように殆どの会社が撤退してしまったという状況(当時は撤退に関して色々な噂があって日本の携帯は小さすぎでアメリカ人の指では押せないとか、携帯が小さすぎて顔の大きさに合わないとか、そんな話もあったけど)があって、会社の業績に大打撃を受けた記憶があったのだが、この本当の理由に関しても本書の中で詳細に説明がされていた(ありがとうございました)。
さて自分がその後、独立、起業して、アメリカにある日系の製造メーカーを相手に商売をはじめてから今日まで、自身も色々な側面で日系メーカーと日本人の消極的な姿勢を目の当たりにしてきた。日本の中小企業の優れた技術や製品の紹介で日本のものつくりの復権に貢献したいという自分のミッションに対して、かつては多くの会社が賛同、つまり商いの申し出をすると積極的に話しに乗ってきてくれたのが2000年の頭ぐらいから徐々に「うちは日本で十分間に合っているから・・・」的な返事をもらうことが増えたという現状があったり、アメリカの製造メーカー(日系も含めて)、それも品質や性能にこだわる製品を製造している現場で、独断場だった日本製の優れた副資材の数々がその地位を失い品質もそこそこで低価格なアジアの製品が積極的に採用されるという状況がいまでは一般的になっていたり、アメリカにある日系の大手製造メーカーにおいても韓国、そして台湾勢の猛攻に対して価格競争に巻き込まれ、どこと無く覇気を欠いてしまったような感じを受けてしまったり…とにかくこれらの全てが「パラダイス鎖国」という言葉で見事に表現され、そしてその現況に起因してしまっていることが理解できた気がする。この状況に対して、海部さんは「21世紀の緩やかな開国」という項で具体的な現状とそれに対しての急激では無く、できる範囲での打開策を挙げ、そして「アメリカに何を学ぶか」の項ではさらにアメリカこそが本当の「パラダイス鎖国」(確かにいわれてみればその通り!)という観点から、そのアメリカがどのようにして、その状況を替えてきたかを検証し、そして「日本人とパラダイス鎖国」の項でこれからの日本、そして日本人のあり方について説いておられるが、特に最後の「脱鎖国の日本人」に書かれている一寸した意識改革こそが本当に今一番必要なことではないかと、特に日本の若い人たちを見ていると感じるこことが多い。このような考えは自分のようなオジンの考えかもしれないけど、若い人を見ていると自国である日本の現状を憂うという気持ちがまったく感じられないのだ。 これに加えて本書の最初の章に記されていた「パラダイス鎖国。産業編」で、携帯市場からの一斉撤退の理由も把握はできたのだが、この状況を目の当たりにして感じた私の日本企業に対する強い懸念がある。その気持ちは今でも変わらないのだが、それは「日本の企業というのは、なぜ皆右へ習えなのだろう?」と言うこと。これは過去にもブログに書いた記憶があるが、何故あのとき、莫大な投資をしていながらせめて一社ぐらいは、その投資を回収するまで頑張るぞ!という大和魂を貫き通さなかったのか?そして日本で限られた市場の奪い合いをいまだに性懲りも無く継続するのではなく(こんなことしているうちにまさに漁夫の利でI-PHONEあたりに徹底的にしてやられてしまう気がしてならない)、海部さんが書かれておられるような中国、アジアを主体とした大市場に、かつてのSONYやHONDAのように黒船を豪快に乗りつけ再度挑戦状を韓国勢やNOKIA、モトローラに突きつけるような気概溢れる独創的な志を持った会社がせめて一社ぐらいあってもいいのでは、と思うのだけれど、この辺はいかがなものだろうか…。海外に生きる日本人、そして日本に未だに誇りを持つ身としては、これが非常にむなしさを感じるところであるが、機会があれば、ぜひ海部さんにこのあたりのご意見を伺ってみたい。