米国における雇用の情勢が全く先行き不透明だ。昨日発表された米国の失業率は9.5%で前の月から横ばい。今年の2~4月にはかなり失業率も改善し幸先の明るい状況だったのだが、ここにきてまた景気の足踏み感というか不透明感が顕著になってきている。失業率が一つの経済指標になっている現在の状況をみると、はたして将来的に本当に景気は良くなっていくのだろうか?そんなことについていろいろと考えてみた。
少し前になるが、私にとっての恩師であるUさんと、久しぶりに食事をする機会を得た。今年の春から執筆業と投資家に加え日本の大手電機メーカーの社外取締役に就任され月一回の日本出張の合間に時間を作っていただき、短い時間だったが現在の日本の状況を中心に数々の貴重なお話をうかがうことができた(本当にありがとうございました)。そんな中で彼が最近読んだINTELの元会長アンディグローブ氏のアーティクルの話をしてくれた。その内容というのは簡単に言ってしまえばアメリカに製造業が戻ってこない限り経済の復興はあり得ない。というものだった。そして、製品に関税をかけてでも流失した製造業を取り戻すことが復興のもっとも重要なカギになる。という大胆な意見を氏の会社自身、製造のほとんどを海外に依存している状況なのに訴えているという事が、非常に興味深いということだったのだが、私自身まさしくその通りかもしれないと強く感じてしまった。
確かにアップルがI-PADやI-PHONEの4Gを発売し、月に100万台を超える勢いで販売しても、その製造を担っているのはすべて台湾のメーカーであり中国の工場だ。アップルがその販売で莫大な利益を上げても、莫大なコーポレートTAXという利潤を国に与えることになっても、そこで雇用が促進され失業率の軽減につながったり所得税が増えるということはないのが現状だ。
これはほかの会社にも全く同じことが言える。今は製造のみならずカスタマーサービスやアカウンティング、アドミニストレーションまで極端な話、海外へのアウトソーシングが一般的になってきている。それはインドのインフォシスなどがその恩恵を被っていることをみれば明らかであろう。そしてこの状況は経済全体の形態すら大きく変えているということをもう少し真面目に考えてみる必要があるのではないかということを思った。
インターネットの普及に伴い、人々はバーチャルなオンラインショップを開設することによって実際の店舗をもつことなく、またそこに従業員を置くことなく商売ができるようになった。当然それらの経費は軽減される分、販売される商品自身も安価で購入できるのが一般的だが、その結果として販売が確実に向上するのか?というえばこれははなはだ疑問だ。というのは雇用が削減された分だけ、購買層も減ってしまうという現状である。
90年代の初めのころだったと記憶しているが、駐在員だった自分は自社製品の売り込みに当時GMの電装品製造メーカーとして君臨していたDELCO ELECTRONICSを訪ねたことがある(たしかKOKOMOという町で、インディアナポリスの郊外だったかな?)。
当時自分が販売していた製品はオートローディングタイプの検査機で、これを導入すれば人手を使わずに自動で製品(実装基板)を検査できるというシロモノで、合理化を進めていたアメリカの各メーカにはうってつけの商品だったのだが、本当に印象深く覚えているのが当時のDELCOの生産技術課長の一言で「うちの生産ラインは人員を削減するような製品は必要ない」というものだlった。今でも同じように自動車関連のメーカーといえば組合が強いことでもよく知られていて、その組合員の職場と地位を常に考えているから組合員の職を奪うような製品は必要ない!という非常に明確な一言だったと思う。まあ、実際にはそういう固執した考えが社内にあったがゆえにGMのみならず国内の自動車メーカーは今のような状態になってしまったのだけれと、ここに来て思うと、そのような考え方というのも、ある意味アメリカ国内における雇用の確保には十分寄与するのではないか?と思われてしまう。もちろん競争力を失ってしまってはまったく意味がないのだが…。
まあ、正直なところ雇用と経済の関係については非常に難しい問題ではあるが、願うことはただひとつで一日も早く景気が回復してもらいたいということだ。
Archive for Yoshi Endo
現状の雇用と経済について考える
TOYOTAとTESLAの提携をどう見るか?
一昨日、シリコンバレーの電気自動車メーカー<TESLA MOTOR>が、ナサダック市場に上場を果たした。目標株価の$17をはるかに上回り、初日は$23まで上昇、幸先のよいスタートになったようだ。TESLAは、2003年に設立。代表者のイーロンマスクは先月39歳になったばかりの若手起業家だが、インターネット決済システム、PAYPALの創業と売却で財をなした億万長者だ。その彼が私財とVCからの資金を調達して運営しているTESLAは2006年に最初の電気自動車「ロードスター」を発売。1000万円という価格にもかかわらず、発売台数はすべて完売。今でも数百台のバックオーダーを抱えているという。しかしながら会社自身は、莫大な先行投資の関係でまた一度も利益を上げていない。そんな、TESLAがどうして上場できたのか?その背景には5月に発表された世界一の自動車メーカーであるTOYOTAとの事業提携と同社からの50億円の資本投資が大きく関与していると思われる。
2008年のリーマンショック以降のアメリカでのTOYOTAは、ご存じの通り、その急速な業績の悪化に加え今年に入ってからは、GMとクライスラー倒産の腹いせとも思える(個人的にはそういう要素もあると思う)、リコール問題の嵐に襲われ、それこそ瀕死の状態。そこへ今年の3月にはGMと合弁で設立された西海岸最大の自動車工場であるNUMIの完全閉鎖を敢行し、5,000人近い従業員の解雇と数百社にもおよぶ関連企業へ多大な影響を与えたということで、これまた矢面に立たされ完全に四面楚歌の状態だった。このNUMIの工場は結局売却することもできず、空家のまま今日に至っていたのだが、5月のTESLAとの提携発表の際には、この工場の再利用(もちろんすべてではないと思われるが)と、従業員の再雇用(解雇した従業員の3分の1程度)を明言し、その提携発表にはシュワルツネガー州知事も同席するという非常に大々的なものになった。そこに50億という大規模な投資を加えたということが、今回のTESLAの上場に大きく寄与しているといっても過言ではないだろう。
さて、これから両社の提携はどのようなかたちで進んでいくのだろうか? 当然日本のTOYOTAとの連携であるから自分的に期待したいのは、もちろん電気自動車という全く新しい分野なので一体どれだけのTOYOTAの協力メーカーが、この新規のプロジェクトに参画できるかは全く分からないのだが、少なくとも関連の機構部材や電装品をはじめとした多くの協力メーカーが、この提携によってこちらへ進出し、これらの供給にとどまらず技術面にくわえ製造、生産の分野においてもどんどん参画して電気自動車という新たな分野で再びアメリカ市場において、中国をはじめとした新興勢力の追従を許さない市場の核を築き、日本企業の発展に期待したいところなのだが、創業わずか7年の新しい会社、それも完全にアメリカのIT産業の礎の上で運営されている会社が、どれだけカンバン方式をはじめとした日本の生産性重視の体制を理解し咀嚼し組み入れて行くことができるか。つまり電気自動車という全く新しいコンセプトによってデザインされた製品に、どれだけ日本のそのような経験値に基づく技術が寄与できるのか?ということを考えると、ここには大きなクエスチョンがのこってしまう。
考えてみると、今回の提携自身、上記のようなTOYOTA側のアメリカにおける立場という点からみると、もしかしたらTOYOTAの米国での起死回生を図るための一つの手段ではなかったかということも十分に考えられる。つまり、この提携によってスタートアップ、それも創業7年、トップもわずか30代という企業に50億もの資金を提供し、その会社が上場するという話題性でTOYOTAのアメリカに対する貢献(?)という立場を確保し、加えて閉鎖したプラントと雇用の救済も同時に解決するというシナリオが実はできていたのではないだとろうか?
う~ん、もしかしたら後者に部がありそうな気がだんだんしてきてしまった。もしこれがそうだとしたら、いつもアメリカにおける日本の製造業の踏ん張りを期待している自分にとってはかなり残念だが。。。とりあえずはこの先の動向を見守るしかあるまい。少なくとも2012年に発売予定の同社の廉価版セダンに、どれだけTOYOTAの技術が寄与しているかが見ものだ。
かつてITバブル華やかなりしころ、日本で携帯市場に君臨していたNTTドコモは、料理の鉄人風に「私の記憶が確かならならば」アメリカでの同社の通信方式の採用と普及を目指し、当時のAT&Tに1兆円近い投資をしたと思うのだが、今この地では「ドコモはどこ(も)?」と聞きたいくらい、その名前は聞かないし、彼らの持っていた技術が採用されたという話も聞かないところをみるとあの投資はすでに霧散してしまっただろう(1兆円ですよ。1兆円)。
少なくとも現実に湯水のごとく開発費を使い、いまだに利益を出したことのないTESLAに投資された50億円が、TOYOTAの名誉回復のためのこの一過性のNEWの広告費だけとなり、いつの間にかどこかへ消えてしまったということだけは、何としても避けてもらいたいものだ。
日本は景気回復の流れに乗れるのか?
少し前になるが、日本のDBJ銀行の方が出張でリサーチに来られたのでミーティングをした。せっかくなので場所をパロアルトはVCの終結地としても有名なサンドヒルのはずれにある超高級ホテルの中にあるレストランにした。ここはランチのハンバーガーがなんと$18@@!でもレストランは広く、いつも静かでゆっくり話ができると思っていたのだが、12時を過ぎたあたりから続々と客が入り始め、なんと12時半にはほぼ満席になってしまった。その光景は、まるでバブル絶頂期を髣髴させる感があった。そして客層もその当時と非常に雰囲気が似ている風にもみえ、景気が明るい方向に向いている様子が感じられた。
そのあと友人のベンチャーキャピタリストと飲む機会があり、このことを尋ねてみると「その通りだ」という。彼いわく「昨年はナサダックの株式公開は1年を通じでわずか6社だったのが、今年は4月の時点で既に7社が株式上場に成功している」という。彼の投資先も今年は上場を含め、2~3社がいい方向でEXITできそうだとの事。そしてそれがITや半導体だけでなく、バイオやサービスの分野でも同じ傾向にあるというのだ。残念ながら自分は偏ったコンスーマーの業界しか見ておらず、その兆しはあっても恩恵にこうむれる状況ではなかったので、なかなか体感できてはいなかったのだが、考えてみれば、GOOGLEもAPPLEも過去最高益、そしてアップルにいたってはI-padの爆発的な売れ行きによって半導体をはじめとした産業の景気向上に貢かなり献していると思われる。
実は今回の日本出張では、前半に台湾へも足を伸ばしたのだが、取引している仕入先(液晶パネルや電子機器製造メーカーに特殊梱包資材を製造している)、は、4月以降受注が殺到し注文依頼を断っている状態との事。まさにAPPLE(だけとは言えないが)特需の影響なのか、とにかく景気のよさを目の当たりにした気がした。
ところで台湾から戻った日本は、そんな景気高揚の機運とは裏腹に、米軍基地移設の問題で社民党の連立離脱とか、相変わらず混迷した様相を呈していて経済復興とか景気の向上といlった要因がなぜか微塵も感じられなかった。おりしも28日は日本でI-padが発売され、各TV番組も店舗の前に行列を作るう人たちの姿とか、この新しい携帯端末の発売と性能を特集したニュースを放映していた。その中では(自分は3局のニュースを見たのだが)、その性能やすばらしさをたたえる内容が中心で、一人として「なぜこのような端末が、家電では覇者であった日本のメーカーから発売されなかったのか?」ということを訴えるコメンテーターがいなかったことに自分としては本当に悲しい思いをしたのだが、加えて、このI-padには日本製の部品がほとんど使用されていないという事実を聞いて、これは非常に憂慮すべき事態ではないか!ということを強く感てしまった。というのは日本は、このようなアメリカを中心とした周辺諸国の景気向上の流れに乗れていない(もちろん間接的に、この端末向けに半導体を生産する、半導体製造設備メーカーも多々あるとは思うのだが)と思ったからだ。
今まで日本は、というか現在もアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引くという関係。ここ2週間ほどの米国の株価の乱高下においても、まったくと言って良いほど同じスパイラルで呼応して株価が推移するような関係だったのが、今回の景気の回復(勿論、劇的な回復ではないのだが)という流れにおいては、その下支えとなっている製造の部分で、周りの中国や韓国、そして台湾といった国々は確実に利益を享受できているのに、日本は何も得られてないのではないか?という感じがしてならない。確かに日本はアメリカの国債の保有率においては群を抜いている(最近中国に越されてしまったようであるが)ので、当然アメリカが豊かになればその恩恵をこうむることにはなるのだが、それはあくまで金融機関(勿論国もだが)が中心であって、配当を得るというネーゲームの粋を脱してはいないと思う。周辺諸国のように、やはり製造というきちんとした礎の部分で確実に利益を確保することが重要であると思うのだが。。。
かつての日本は、高度成長期以降、アメリカに対しては、その消費に対する一大製造拠点して大いに潤い、そして今日に至る蜜月の関係を築きあげてきたわけだが、その構造はここにきて大きく変革してきているようだ。ただ日本という国がその状況を本当の意味でしっかり理解しているのか? マネーゲームで、かつてバブル崩壊に伴い大痛手をくった経験が、対アメリカという部分で本当に生かされているのか?このあたりを真摯に受け止めていかないと、アメリカの景気向上にともなって、同じ流れにのって元気になるのは、周辺諸国だけで、肝心の日本はその流れにも、間違いなく乗り遅れてしまうような感じがしてならない。
デザインの重要性を真剣に考えないと!
アメリカに来た当時、昔から大好きだったアメリカのアンティーク、正確に言うとアンティークの定義は100年以上前のものの総称だそうで、時代が無いものはコレクティブルアイテムとかメモラビリアと呼ぶのが正しいのだが、自分は特に40年代のアートデコ(日本ではアールデコ)と50’sメモラビリアの収集に精を出していた。当時はE-BAYなど無いから、本当にフリーマーケットに出でかけたり、アンティークショップを頻繁に訪問したりして足で収集していた。それもまた楽しい思い出となっているが今でも膨大なコレクションがそのままうちには残っている。そんな自分のコレクションの中でも特に意識して集めていたのは40~50年代のトランジスターになる前の真空管のラジオだ。
木材に変わって、プラスチックが開発され自在にデザインが形になった黎明期。もちろんプラスチックの材質は非常に限られたものだったが、さまざまなデザインのラジオたちが、たくさんのメーカーから販売された。RCA、PHILCO, ウェスティングハウス、GE、モトローラなどなどそうそうたる顔ぶれ。当時のアメリカは家電の先端王国。もちろんすべてMADE IN USA,そしてそれらがアメリカの国民の生活を本当に豊かにしていた。そんな時代を髣髴させる家電製品の数々、その中でも特にラジオはメーカーの多さでも群を抜いているが、上の写真を見ていただけるとわかるようにそのデザインの豊富さも一番で、未だにみていて飽きないばかりかコレクターの収集欲を常に刺激し続けている。自分はその愛くるしいというか温かみのある雰囲気も大好きだ。さて、なぜ、ラジオに限ってこんなにたくさんのデザインがあるのだろうか?それは簡単で、ラジオという製品自身が非常に単機能だからだ。電顕(スイッチ)とボリューム、そして周波数を合わせるチューナーがあれば当時のラジオは完成だ。なので、その単機能の商品を販売するためには、単に価格競争にしてしまうのではなく各社独自の個性を出すために外見に非常に注力を注いだ結果が、このように膨大なデザインのらラジオを世に残したのだ。
さて、アップルの隆盛をみると、其処には一貫してデザイン重視のマーケティング戦略がある。若者の心を刺激するシンプルなデザイン、持つだけで優越感を感じられるスタイルの素晴らしさは本当に群を抜いているのは皆さんも感じられているとおりだと思う。こんな戦略を最先端の技術開発と併せて展開しているところもにアップルの圧倒的な強さがあると思うのだが(今回のI-PADも既に先行予約が凄いらしい)、それに比べて日本の家電製品、とくにTVはどうしてあんなに無個性で同じようなデザインなのか実は常々思っていた。家電量販店に並んでるたくさんの薄型TV たち、そのフロントパネルの下についている会社名を隠したら、どのTVがどのメーカー製かを判断できる人は皆無だと思う。もちろん最近はHOT STAMPなどの技法でカラーをグラデーションにしたりしているメーカーもあるが、外見はほとんど単一的だ。
TV自身の機能を考えたとき、それ自身は既に行き着くところまで来ている感がある。つまり画質のよしあしなどは誰が作ってもそれほど変化のないレベルになっていると思う。3Dやスカイプなどの機能追加。またLEDバックライトの採用などのハード的な違いはあるがTVに必要な機能自身に大きな違いはない。もちろん画面という一番重要でその製品の面積のほとんどを占めるものがある事による制約も大きいとは思うのだが、この状態では単に価格だけでTVを買っていく消費者がほとんどになると思う、というか既にそうなっているのが現状だ。残念ながら、このデザインという領域は日本の家電メーカーのもっとも苦手な部分であるとは思うのだが、思うのは今こそ、かつてのラジオのように一社ぐらいは斬新なデザイン、度肝を抜くようなアイデアのTVを作ってみてくれないものか?ということだ。宇宙時代をテーマにした映画によく出てきた(と思う)球形のTVは無理にしても、何か新しい発想でTVのイメージを変えてしまうような会社がなんとか日本のメーカーから出てくれないものか。
そんなことを最近、自分のコレクションを眺めながら、よく考えるようになった。それは、既にLG、SAMSUNGの韓国勢のTVが、この領域でも一歩以上先を走っているということもあり、このデザインの重要性という事を本当に真剣に考えていかないと日本のTVメーカーが今後も継続して存続する手段は無いような気がして仕方がないからだと思う。
ー追記ー
ちょうどこのブログを書き始めた後、シャープの新製品QUATTRONのCMを見た。
スタートレックの名俳優ジョージタケイさんを起用した非常にコミカルなCM.そしてTV自身のデザインも普通のスクェアでは無く、ラウンドエッジシェープの結構斬新なスタイル。そしてシルバーのトリムラインもなかなか良い感じ。と思ったけれど、よ~く見ると
「これってI-phone????」
実はお付き合いのある成型品メーカーにお邪魔した際にシャープの新製品は「I-PHONEに似たデザインだよ。」と聞かされていたのだが、ここまで似てるとは…。I-phoneをここまで意識してしまったら、少しも目の付けどころがシャープじゃないではないか・・・。でもでも、このくらい大胆にデザインを変更してみるという志は素晴らしい!日本の他メーカーもどんどん追従して「TVデザイン競争が勃発!」なんて嬉しいニュースが一日も早くネットや新聞紙上をにぎわしてくれたらいいな~!
安心というマーケティング(イメージ)戦略の代償
少し時間が経ってしまったが久しぶりのテキサス出張。最近はあまり遠くへ行かなくなってしまったのだが、かつては自動車電装品メーカーを追いかけて頻繁に中西部にも出張していた。日系企業といってもメキシコのティファナやレイノサのように一か所に複数の企業があるという事は珍しく、ほとんどの場合、たとえば最寄りの空港から車で片道3時間のところにポツンと一社だけあるようなパターンが多いので非常に効率が悪い。ただ、カリフォルニアでは殆ど見れないような風景を眺めたり、いつまでも続く牧草地の中のドライブも当時は気に入っていた(勿論客先で注文がいただければそれが一番だけど…)。で、それより何よりいつも期待していたのは、そんな中西部で今まで出会ったことのないようなレシピやソースで味付けされたBBQや郷土料理に出会うことだった。最初のうちは本当にそれが楽しみで楽しみで、当時(もう15年ぐらい前?)はインターネットなどなかったから、まずホテルに着くと受付嬢に聞いてみたり、イエローページで必死に探したりして、おいしそうな店を見つけると喜び勇んで出向いていった。ところが残念ながら、ほとんどの場合、その期待は裏切られた。アラバマではホテルの受付嬢が太鼓判を押したBBQ専門店に行って、ぱさぱさの肉の塊がサーブされたので「ソースはないのか?」と聞いたらA-1ソースを持ってこられた。またインディアナポリスの郊外の町では、味の濃いBBQリブの付け合わせが食パンだった。そんなことが本当に多かった。その都度期待に胸ふくらませていた分、失望感も大きく、ついついビールの本数が増えてしまった事を思いだす。なぜかなあ?色々考えてわかった事。それは人の流通が少ないということだ。ちろん、メンフィスやシンシナチ、ナッシュビルといった大都会は別だが、自分の行くのは本当の地方都市、殆ど人の流通がない(と思われる)。なので、味が進化する必要がないわけだ。いつも来るお客さんは同じ顔ぶれ。そしてその顔ぶれが満足してくれる料理をサーブしていれば、それでいいのである。
このような感じで何度も何度もショックを受けていると必然的にそのような冒険をすることはなくなり、どこへ行っても無難なチェーン店に足を運んでしまう。それは少なくとも味の良し悪しではなく間違いないという安心があるからに他ならない。少なくともがっかりすることは避けられるわけだ。このような安心というマーケティング戦略は勿論、チェーン展開をしている大手レストランであればどこでも意識しているだろう。
かつて読んだロバート清崎の「金持ち父さん、貧乏父さん」の中に彼が講演の際、聴衆に「マクドナルドのハンバーガーより美味しいハンバーガーを作れる人手を上げて」というと殆どの人が手を上げるが、その聴衆に対して「それでは何でハンバーガーショップをはじめないの?」と、問いかける一節がある。このあと彼はマクドナルドのマーケティング戦略が如何に優れているかを説明してマーケティングの重要性を説くのだが、味以上に安心というところに趣を置いたその戦略の凄さに(自分はそうだと思うのであるが)、いやあやられた~と思いながらも、田舎町のマクドナルドでハンバーガーをほおばっていた自分を思い出してしまった。
話はいきなり変わるが、昨今のTOYOTAバッシング(あえてそう言わせてもらおう)について考えてみた。TOYOTA車を選ぶ多くのアメリカ人は、その性能がいいことや燃費がいいことに加えて、故障が少ないという安心感から同社を選んでいたと思う。しかしながら今回の問題は残念ながらその一番肝要な部分を大きく損ねる結果になってしまった。これは非常に重大なことだ。そしてその回復には莫大な費用と時間を費やさなければならない。かつてJACK IN THE BOXがO157の食中毒問題をおこし死亡者まで出してしまったとき、同社の社長はテレビのCMに自ら出演し、その事実を認め謝罪すると共に今後は徹底した衛生管理をおこない、2度とこのような問題を起こさないと宣言した(というCMだったと記憶している)。そのくらいの真摯な姿勢を見せることがアメリカの国民を納得させるためには必要だ。同じようにSEXスキャンダルを起こしたクリントン大統領も、自らTVでその事実を認め、謝罪した。その潔い姿勢を国民は容認はしないまでも理解はしていたと思う。そのくらい思い切ったことがTOYOTAにも必要ではないかと思う。少なくともアメリカでこれだけ成功した会社なのだから、その安心という最需要点を失いつつある今こそ社長自らがTV上で謝罪するぐらいの姿勢を見せることが肝要だということをTOYOTAのマーケティング陣営は理解すべきだ。そうでなくとも、このような状況の中、KIAやHYNDAIといった韓国勢は確実に信頼と業績を伸ばして日系自動車メーカーが40年かけて築いてきたアメリカでの地位をわずか10年で切り崩そうとしている。そう考えると、これはTOYOTAという範疇をこえ日本の輸出産業にも大きく影響するということのみならず日本政府も国の威信と産業に影響を及ぼしかねないということを真剣に考慮し何らかのサポートをすべきではないかと思ってしまう。
確かに安心というマーケティングの上に築かれた信頼は、その上に胡坐をかいてもいいくらいものすごい効力があるのだが、逆に一度損ねるとその代償は一国の存亡にも影響するくらい本当に深刻なものとなることを認識すべきだということを過去に感じたマクドナルドの安心というマーケティング戦略の思い出からはずいぶん横に斜めにそれて大きな話になってしまったが自分も真面目に考えてしまった。
ものつくり立国という呪縛からの解放
丁度前回日本に出張した1月に、たまたまNHKスペシャル「メイドインジャパンの命運」が放映されていた。これは台頭するアジアの製造メーカーの猛威に対して、日本はどう対抗し、どう道を切り開いていくのかという、日本の製造業の将来への模索を描いた特集だった。自分も海の外からではあるが、昨今の海外における日本の劣勢を目の当たりにしているだけに、この放映を見る事が出来たのはラッキーだった。この中で、既に日本での生産に見切りをつけ、自分たちが培ってきた技術のロイヤリティに収益モデルを特化し、生き残りをかけたJVCケンウッド(最近ではもちろんSONYもその部類だ)と、あくまでも技術力とものつくりにこだわり、何とか技術開発力で他国の追従を振り切ろうとする東芝の様子が放映されていた。
特に東芝においては、価格を度外視して性能を重視した高機能テレビの開発から製造、そして完成までの様子がドキュメンタリータッチに描かれていて、かつて日本ビクターのVHSの開発の舞台裏を描いた映画「陽はまた昇る」を彷彿される感じだった(その物語の主役だったJVCもいまや斜陽の状況だが)。チューナーがいくつも付いたお化けのようなPCB、その高密度化による発熱を防ぐための蛸足のような水冷ヒートシンク、そんなお化け基板を設計したエンジニアたちの葛藤と、複雑化した機能を何とかまとめるべくデザインされたバグだらけのソフトウェアをできるだけ正常化しようとするプログラマーの奮闘、そして何とかその製品を販売路線乗せるためその発表の場を事前に控え、何とか納期を間に合わせて死期回生を図るべく現場に発破をかけるセールス陣の攻防(?)。日本が本来、常とし美徳としてきた(であろう)製造現場の舞台裏がリアルに描かれていた。そしてエンディングでは、やっとの思いで展示会の納期に間に合わすこトができた製品の出荷を朝焼け(もしかしたら夕焼け…)の中、安堵感と達成感に満ちた顔つきで見送るエンジニアたちの姿が映し出されていた。良い番組だった。が、熾烈な価格競争の泥沼にさいなまれる日系企業の状況を目の当たりにしている私が思ったのは、「これ売れるの?」という事だけだった。
さて、アメリカに2月頭に戻り3月に入って2週目、シリコンバレーでは2つの大きなNEWSの発表があった。ひとつはGOOGLEがTV番組の検索を本格的にスタートするということ。同社はすでにサテライトTVを基幹に放送業界に殴り込みをかける姿勢を鮮明にしていたのだが、その計画の先鋒がまず具体化された。そしてもう一つはインターネットルーターの最大手であるCISCOシステムが従来の3倍以上の速度を実現する高速ルーターを発表。主に映像のダウンロードに飛躍的なアドバンテージを与えるというものだった。このNEWSは本当に衝撃的だ。それはテレビという日本のものつくりを代表する製品の存在自身が根底から覆るインパクトを持っているからだ。デジタル放送が標準化される背景には、もうチューナーなど必要ない新しい技術による映像配信が今後はスタンダードになるという意味があると思う。、そしてインフラをつかさどるハードウエアもその革新に伴って性能が飛躍的に向上し媒体を効率よく配信するシステムやソフトウェア[番組)自身も、この先恐ろしい早さで進化を遂げ、やがてはテレビという受信機ではなく、大型モニター+セットトップBOX(PC)が主流になる日がほんとうに近い気がする。そんな中、高機能と技術力を見せつけるために莫大な開発費と、人件費、そしてマーケティング費を費やして工場から送りだされた高機能テレビは、日の目を見ることなく葬られてしまう運命をたどらざるを得内という状況を、なぜ日本では大御所である東芝が気がついていないのか(もしかしたら気が付いていてなおかつの開発かもしれないが)ということが本当に情けない。クラウド化が加速しネットワークがより軽くシンプルなシステムとなり、それとつかさどるハードウェアーもますますシンプル化していく状況のなかで、なおもものつくり立国を自負し技術力を誇示するというのは、どう考えても勝ち目がなくなっている戦局において、なおも日露戦争における日本海軍の大勝利を再度実現すべく意味のない莫大な出費を費やして大和や武蔵といったっ巨大戦艦をつくっていた戦争末期の日本のスタイルが何の学習もなく踏襲されているような感じがした。
もちろん、他の日本の大手家電メーカーもそのような考えを未だに持っているとは思いたくない。ただ残念ながら性格として大手であればある程、右へならえの傾向が強い事も事実だ。 「ものつくり立国」「技術立国」という自尊に胡坐をかいていられる時代はもうとっくの昔に終焉しているという事を、日本の企業はもっと真剣に受け止め、そしてその呪縛から一日も早くのがれて身軽になりもっとシンプルに市場をみるべきだ。考えてみれば本当に単純な事だとおもう。
保守的性格会社の行く末
家にあるVIDEOテープを整理していたら(うちにはまだHDDレコーダーがないんです…)、まだ見ていない2007年の5月に放映されたNHKの「プロフェッショナルー仕事の流儀」がでてきた。ゲストはエルピーダメモリーの坂本社長。早速観て非常に共感が持てた。自分自身アメリカに長いから考えようによっては、坂本社長のスタイルは、こちらのエグゼクティブの普通の姿なのだが、坂本社長もテキサスインスツルメンツの叩き上げで育ってきたエグゼクティブだけに、特にアジア勢にそのお株を奪われたメモリー市場において従業員3,000人のトップとして彼らの生活を常に考えながら、「結論は時間をかけずその場でだす」「責任はすべて一人で背負うという」ポリシーを貫き通し、会社の肩書を傘に、黒塗りの車で通勤する勘違いしたエグゼクティブとは一線を画し、満員電車で通勤し、毎日社員のと顔を合わせながら日々の業務に奔走している姿は、本当に今見ても新鮮だった(アメリカでは、インテルのアンディグローブ会長もマイクロソフトのビルゲイツ元社長も自家用車を自分で運転して通勤していた)。こういうTOPの下でなら自分も働いてみたいと思った人は私だけではあるまい。残念ながら昨年は、景気の低迷と、メモリー市場の下落というダプルパンチに見舞われ、倒産の危機にさらされたが、恥も外聞もなく公的資金の借用をし、そしてメモリー市場の回復と呼応して、今年また再び強烈に進み始めた感のある同社は坂本社長の志が従業員にも理解されているからこそ成り立っていると思う。
こんな坂本社長の姿勢を見て思い出した事がある。現在弊社と取引をしているA社のことだ。同社とはもう10年近いつきあいになる。残念ながらあまり大きな商いは過去にもなかったのだが、ここにきて大口のプロジェクトが入り、お陰さまでその受注に成功し、同社への発注をした。恥ずかしい話しながら弊社は弱小企業なので、なかなか銀行からの借り入れもできず、今回のような大口の商談の場合、特に支払に関してはVENDERであるA社の協力も不可欠なのだが、この会社、弊社の状況を理解していながらまったく、その条件を考慮してくれない。与信を与えてくれないのだ。当方としては、勿論客先(日系の大手メーカー)からの注文書も提示し、入金計画も含めてきちんとした姿勢を示しているのに、担当者からは、「上と相談してご返事します」そして、相談した結果「社長とも協議したがやはり支払条件は今まで通り前払いで…」のような説明。。。ちょっと愚痴めいてきて恥ずかしいのだが、社長の判断で「よし、今回は責任をとるので次回もぜひ頑張ってほしい」ぐらいの気持ちがないものなのか・・。このあたりがかなりショックだったし、社長とは以前直接会って「アメリカでの拡販をぜひ!」みたいな話をしていたにも関わらず、口だけで全く協力するつもりもない姿勢にかなり幻滅した。この会社自体もメインの商売は高官長との仕事が中心なので、弊社のようなたまにしか仕事を持ってこないようなマイクロ会社は最初から相手にされてないのかもしれない。または高官長がらみのほうで潤沢な利益があるので、あえて余計なことで今までのスタイルを変える必要なしと判断ているとしか思えない。今回は幸い日本で活躍している友人の会社から何とか資金の援助を受けられるのと(本当に助かった。感謝!)、新規で取引した別の会社が、2回目の取引にも関わらず状況を理解してくれ、支払条件にタームをつけてくれたことで、何とかギリギリのところでしのげそうなのだが、A社の対応には、本当に幻滅した。この先、この手のプロジェクトは、実は市場的にかなり魅力があり。億単位の規模も期待できそうなので、できれば積極的な展開を進めていきたいのだが、もちろんそれはVENDERの協力とチームワークががあってこそ実現するものであり、いつまでも保守的で大きな決断もできず、会社の方針だからと相手を信頼しようとも(与信をあたえようとも)しない会社と組んでいては残念ながらこの先の展開は難しいだろう。そして思うに日本の殆どの会社が実際はこのような保守的性格を未だに踏襲しているのだろう事は容易に想像できてしまう。
アメリカの会社は、前出の坂本社長ののりで、新規のビジネスや可能性にいい意味でのトップダウンでズバズバときりこんでいく。勿論失敗もあるだろうが、得られるであろう利益に対して果敢で積極的だ。そんな一連の会社と相変わらず保守的性格を貫き通して知らないところで商機を失っている日本の会社を比べると、その行く末は言わずもがなであろう。
P.S.スミマセン、今回の内容。どう読んでもやっぱり愚痴? という感じになってしまいました。
たまには社長のつぶやき~という事でご容赦を!
TOYOTAバッシングの陰に感じた不安
トヨタのブレーキ不具合問題が連日のニュースをにぎわしている。アメリカでは、特にその報道は顕著だ。運輸長官が「トヨタ車には乗るな!」発言をしてしまったり、当然ラジオ(実はほとんどTVを見ないので)のNEWSでもその不具合の数々、そして新たに発覚してしまった問題などを、まるで鬼の首でも取ったかのように説明している。どうもこのような報道をきいていると、かなり昔にココム規定に違反した東芝を、同じようにバッシングし、国会議員(だったと思う)が、TVで、東芝製品を金槌でたたき壊していたシーンを思い出させる。確かに昨年はアメリカの自動車産業にとっては、GMとクライスラーの倒産という歴史に残る年だった。そんな中、同じように景気低迷で販売台数が激減した中でも、エコカーの販売に力を入れ確実に努力してきた(であろう)TOYOTAに対する、言い方は悪いが「腹いせ」にも通じるものが見え隠れしているような気がしてならない。
さて、TOYOTAのリコール問題だが、確か事の発端は、去年の秋ごろ「フロントマットがアクセルに引っかかってアクセルが戻らなくなってしまう」というものだったと記憶している。それがここへきてアクセルの機構自身の問題になり、昨日あたりから、「アクセルを制御するシステムのソフトバグの問題」という話も出てきている。実は、この話、私は昨年訪問した車載オーディオ機器メーカー大手A社のエンジニアから既に聞いていた。彼は「アクセルが戻らないというのは分かるが、発車時からアクセルを全開に踏み込む人なんかいない。引っかかるというのはアクセルを全開に踏み込んだときにおこる(と言われていたと思う)らしいがそんなに全開に踏み込む人がいるのか?これはきっと、このシステムを制御しているソフトのバグに違いない」といっていた。「ソフトのバグはまず発見するのにかなり時間がかかり、単純に治せるものではない」と指摘したうえで、まず簡単に問題を安価で対策できるものに置き換えている可能性があるというのだ。その時は単純に「う~ん、そういうこともあるのか」と思って聞いていたのだが、ここへきてその話がまだ明確ではないにせよ現実なものとなったということに正直なところ、かなり不安を感じだ。今でさえ自動車の電化率はかなりのパーセンテージを占めており、ハイブリッドや電気自動車になればそのほとんどが電化されるわけだ。当然それらの制御は全てセンサーやマイコンをはじめとした電子部品(既にマイコンの搭載数は相当数に上っているらしい)によってコントロールされる。そしてこれらを機能させるソフトウェアは、恐ろしく重要なものになるわけだ。WINDOWSのようにあれだけのシェアを持つソフトウェアでさえ、いまだに多くのバグを抱えている。確かに机上の使い勝手という領域だし致命的なバグでも命にかかわることはない。しかし車となると話は別だ。ちょっとした些細なバグでも、それは大問題になる危険性を十分はらんでいる。ひとつだけ入力を間違えても、これが立派なバグとして、何十億円もの損失と、尊い人命を奪う結果にもなりかねないのだ。そう考えると、車載電装品に使用されるソフトウェアを開発するエンジニアにはかなりのスキルと技術力、そして注意力が要求されるだろう。ただ、この先も急激に進む車の電装化に、その人材の供給が間に合うのだろうか?前出のエンジニアが、ぼそっと話していた「今後、車載のデータ制御も通信を利用したシステムにどんどんなっていく。そこにはバグだけでなく、ウィルスも容易に侵入できる可能性もある。それらをどうやってプロテクトし、そして改善していくのか、そう考えると非常に厄介な問題がたくさんでてきそうです。」と。う~ん、確かに。。。。
TOYOTAバッシングの陰に実はソフトウェアのバグによる問題という将来の不安の種が見え隠れしている事を意識している人は果してどのくらいいるのだろうか?
2010年に想う
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年の11月からひとつ大きなプロジェクトが入り、結局年末から年始にかけてもまったく余裕のない日々を送ることになり、このブログもまったく更新できず本当に失礼しました。
さて、 昨年は本当に大変な年だった。自分のビジネスで言えば、いままで10年間で最低の年。そこへ円高という追い討ちもあり、本当に厳しい毎日を送っていた。そして自分の生業の市場である電気業界の大きな変革があった年でもあった。デジタル化の発展により、だれもが簡単にTVやPCを作れるようになった今日、その生産の形態は大きくわかりつつある。ものつくり立国を自負していた日本は、その大きな流れに残念ながら逆らえるようには思えない。それほど、この変革はインパクトがあるものだと想う。あくまで自分の予測ではあるが、5年後には日本が開花させ、そして発展させてきたTV産業から日系メーカーが消え去ってしまう事態になってしまうような気がする。加えて自動車産業に関しても然り。電装化が進む状況において将来的に日系メーカーがどの位イニシアティブをとっていくことができるか。そしてその自動車産業の隆盛を支えてきた多くの協力会社、中小企業が、この大きな変革のインパクトをどのように受け止めていくのか?本当に真剣に考えていかねばならないような気がする。
2010年の年頭にあたり、以前、梅田さんにお伺いした、「事業の寿命は10年が節目」という話が本当に現実となったこの時に自分自身は、どのように考え計画を立案しビジネスを継続させていくか・・・。すぐにでも結論を出さなければいけない時がきている。まずは、このテーマを早急にクリアすることが自分に課せられた2010年の最初の課題だ。
自動車革新の大きな影
10月の中旬は日本に出張。おりしもトーキョーモーターショウが開催されていた。自動車不況のなか、その可憐さもずいぶんおとなしくなってしまったとNEWSが報じていた。今までモーターショウといえば、キャンペーンガールで溢れかえり熱気でムンムン、そして若者たちでごった返していたイメージが強かった(少なくとも自分の年代ぐらいまでは)が、最近では若者の車離れも非常に顕著で、そういった意味でも精彩がずいぶんとかけてしまったのだろう。しかしながら昨年から始まった不況の直撃を受け、前代未聞のGM,クライスラーの倒産という歴史的な大事件もあり、メーカー各社は新しい時代の幕開けとばかりに、次世代のトレンドになるであろう電気自動車を紹介。そしてその経済性とエコロジーに大きく貢献する性能を大々的にPRしている様子がテレビのNEWS番組をにぎわしていた。
それらの車は、いままでのキャンペーンガールに変わり百花繚乱の感がある。デザイン的にも非常にユニークで見ていて非常に面白い。そしてほとんどのメーカーが同じようにハイブリッドではなく電気自動車をメインに展示を構成していたという点もこれまた一気に加速がついたという感じをうけた。おまけに今までは聞いたこともないような新規参入の多くの会社も電気自動車を発表していたという点が非常に興味深かった。この勢いだと本当に2,3年以内には、まるでレコード店からレコードがあっという間になくなりCDに変わってしまったように、ガソリン自動車も電気自動車に取って代わってしまうのではと思うほどである(ちょっと大げさだけど)。
さて、そんなニュースのさなかにも自分はあちこちの取引先訪問などなど、相変わらず慌しい日々を送っていたのだが、大阪でお世話になっている町工場(失礼!)の社長さんが、そんなモーターショウでの電気自動車の話題に触れて、「いやいや、実はこの電気自動車が本格的に日本自動車産業の中心になると、このあたりの工場はほとんどなくなってしまうんですよ」と、深刻な顔をして話はじめた。聞くところによると、この地域では自動車の基幹部品である車軸やそれに使う細かいナット、ボルトといった部品、またそれらをメッキするような工場がかなりたくさんあるとのことなのだが、電気自動車になれば当然駆動系もいままでとはまったく異なる構造になり、非常に簡素化されるため、これらの部品は殆ど不要になってしまうというのだ。言われてなるほどと思った。考えてみれば電気自動車になれば、まずモーター駆動になるので、エンジンがいらない。つまり、今までエンジンの鋳物やピストン、リングなどなど、それに必要な部品はすべて不要になってしまうのだ。当然、先の駆動系も然りで、ほとんどの部品が不要もしくは代わりのものになるわけで、これらを今まで長年にわたり専業で製造していたメーカー、特に中小企業にとっては、かなり深刻な話なのだ。
実は同じような話取引先でTOYOTAの最大手強力企業であるA精機の方からもうががった。同社でも現在のスタイルの自動車用に生産している部材の比率は非常に大きく、ある意味深刻な状況は避けられないという。ちなみに1万点近い部品が電気自動車に代わることによって不要になるという…。話を聞いていてちょっとゾッとしてきた。考えてみれば今まで折に触れてこのBLOGにも書いてきた電器産業の海外流出の次に自動車革新に伴う産業構造の変革がもたらす日本の自動車工業を支えてきた多くの企業にものすごい勢いで危機が迫っているのだ。ちょっと大げさかもしれないが、これって非常に現実味をおびていないか? 加えてもう一つ恐ろしいと思ったことは、電気自動車になることによって、自動車の製造プロセス自身が非常に簡素化され、極端な事を言ってしまえば、各部品がキット化し、バッテリーとモーター、これに駆動系とシートやボディを組み合わせれば簡単に車が作れてしまう可能性も非常に高いと思われる。それが証拠に、今回のモーターショウでも新規参入の電気自動車メーカーは確実に増えている。そうなると、これまた今まで日本の独断場だったテレビの生産が、デジタル化した途端にどんどんアジアのEMS生産に変わってしまったように、自動車もまた、このような生産方式が主流になってしまうのではないか? そうなってしまった時、日本は完全にアイデンテティを失い、ものつくり立国としての地位すら消滅してしまうのではないか?ということを決行背筋に冷たいものを感じながら考えてしまったのは、繰り返すようだが、やはり電気、特に家電産業の急激な流れを目の当たりにしてきた事に大きく関係していると思う。
家で充電ができ、排気ガスを発生せず、経済的にも非常に優れた電気自動車。そして各家庭にソーラーを主体とし充電設備が整えば、本当の意味でエコロジーな環境と生活を送ることが可能になる近未来がすぐそばまできている。それは誰もが理想とする世界ではあるが、そのために日本の礎である多くの中小企業があっという間に姿を消し、日本の経済自体が理想の世界を迎える前に消滅してしまうという大きな影となっていることに、いまどのくらいの人が危機感をもっているのだろうか・・・・。