Archive for 雑感

この現状だからこそできる事があるはずだ!

先週末になるが、大阪でオフィス家具製作の工場を元気いっぱい切り盛りしているIさんとお会いした。今回は2泊4日の強行軍でシリコンバレーに出張。何とか顔だけでも拝見できればと思い、日曜日のブランチにお誘いした。Iさんは、常に非常に客観的なものの見方と独自の分析力から今の日本の製造業の実態を把握されていると思う。そんなIさんのお話を伺うことで普段はまったく見えてこない本当の姿の日本の中小企業の実態を垣間見ることができる気がする。
 今回は昨今の景気の話に始まり、そこにある製造業の現状と、その行く末はどうなるのかという話、そしてこの現状だからできる事は何かという話で、かなり勉強になった。そして色々考えさせられた。製造業の行く末と言う話は、また別の機会に紹介するとして、まず、現在の日本の中小企業を中心とした製造業の現状については、ご存知の通り壊滅的な打撃を受けており、中京地区の自動車関連の下請け企業(あえて下請けという言葉を使わせてもらおう)の現状を見るまでもなく、その状況は全国的にかなり深刻だと言う。そんな中、事業主が口をそろえていうのは「今は我慢の時期だから、何とかこの場をしのいで、景気が上向きになったら、また頑張りたい」ということで、この時期をうまく利用して何とか活路を見出して生きたいという意見はほとんど聞けないらしい。これは今まで攻めの営業や事業展開をすることなく、単に下請けと言う状況で常にメーカーから入ってくる仕事で十分なレベニューを得る事ができたが故に、不況時の凌ぎ方はこれしかない。と言う認識が根底にあるからかもしれないが、この先はそうとばかりは言えないのではないかという気持ちが私の中では非常に強い。
 実際Iさんの会社も製造メーカーとしては中小のサイズで主な製品もオフィス家具なので、この不況の影響をまともに受けているのだが、彼は、ここを好機と位置づけ、景気のいい時は忙しすぎて手が回らなかった様々な試みをスタートしたと言う。その例として、まずコストの軽減を実施すべく、全ての仕入先の見直しを徹底的に行ったそうだ。現状は喉から手が出るほど仕事が必要な製造メーカーが巷には溢れているので、極端なことをいえば幾らでもコストダウンができる感じを受けたそうだ。そしてIさんは、その価格のメリットと自社の持つ優れた品質を武器に、今まで参入が難しかった業種や、日々の生産に追われ、なかなか業者選定の見直しまで余裕がなかった大手メーカーへのアプローチを再開し、量は望めないものの非常に力強い感触を得ているという。これがまさに今の状況を最大限に活用し、次のチャンスへつなげるための処方箋ではないかという思いがした。同じような話を日本のTVでも見たのだが日本の大手家電メーカーであるK’S電機は景気のいいときには一切事業や店舗の拡大を行わず、景気の低迷したときを利用して店舗展開を行うという。そのほうが収益の減退以上にコストを軽減できるからだそうだ。逆転の発想が会社の発展に大きく寄与している端的な例だと思う。この前のエントリーにも紹介したが、シリコンバレーの製造メーカーでも半導体産業に依存し、その景気の動向によって不景気になるとじっと耐え忍んで生きながらえるか、そのまま死滅してしまうところもあれば、ソーラーや新しい産業に積極的に営業を展開し、現状をしのぐばかりか、将来的な拡張へ確実に前進しているところもある。残念ながら日本の製造業の場合は下請けと言う極端に営業力が脆弱なスタイルが主流である為に、この現状を逆転の発想で乗り切り将来につなげられる事が難しい可能性が高いのが現状だが、Iさん(本当に勉強になりました。ありがとうございます)のような経営者が中心になって、この現状を逆にうまく利用し、それを乗り切るだけでなく将来の発展につなげる活動や試みが、もっともっと盛んにならないものかと考えさせられてしまうが、かく言う私も、そのような視点でできる事を積極的に考えてみたい。

 

日本人として情けない思いをした日

久々の投稿がこんな話題になってしまうのもほんとにがっかりな話なのだが…。 
 今日は嵐の中、サンノゼからサンディエゴまで焼く800kmのドライブ、途中LA手前のTEJON PASSが雪の為に通行止めというハプニングに見舞われ通常7時間半の行程がなんと10時間に。そんな中、このドライブのあいだ、聞いていたAMのラジオニュースでは、しきりに日本の中川のG7での見解の様子を伝えていた。それも、その体たらく振りをわざわざ日本語で呂律の回っていない様子の録音まで流していた。アナウンサーはしきりに「日本は35年以来の大不況、TOYOTAやSONYなどの大手が軒並み大幅減益の状況の中、その復活をつかさどるはずの財務相のこの態度(と言っていたと思う)はいったい何なのか?」と呆れた様な感じで話してた。おりしもクリントン外相が日本を訪問し、この世界的な不況に対して共に協力して行こうと言う矢先なのに。。。とも話していた(と思う)。
 こんなに繰り返し日本の話題をニュースで流しているのはアメリカに来て初めての経験だった。
 一体何なんだろう?一国の代表たる大臣が、それもこの世界不況の中、もっとも重要であるはずの蔵相会議でこの情けなさ。高速代の軽減や給付金の支給など、やるやるといいことばっかり言っておきながら、何一つ実現することができない首相の情けなさもさることながら、彼の選んだ大臣の輪をかけて情けない姿に本当に日本人として恥ずかしく思ってしまったよ。そして悪びれずに言い訳をして辞任していくあの態度。国辱を犯していることを理解しているのか。おまえは??
 あ~アメリカに来て、こんなに情けない思いをしたのは初めてかもしれない…。

2009年をどう生きるか

 08年、サブプライム問題に端を発した金融危機による大手金融機関の倒産から波及した景気の冷え込みは、後半一挙に加速し、今まで不動と言われたアメリカ自動車業界(ビッグ3)が破綻しかねないという前代未聞の状況を生み出し、加えて加速する円高による日本企業の業績不振、そして中東を中心とした情勢不安は拡大の気配まで見えてくるという不安な世相を踏襲したまま2009年は幕を開けた。とにかく去年は特に後半、青ざめるほどの急激な円高に生きた心地がしなかった。為替の問題は常にここでもテーマにしているが、すべての仕入れ先と円建てで商売をしている弊社にとっては一番重要な問題であることに変わりはない。10月からの急激な変動で3万ドル近いお金がまるで手品を見ているように右から左に移ったとたんに消えてしまった。3万ドルの利益を上げるためには最低でも10倍以上の売り上げが必要になる。30万ドルを売り上げるということは並大抵の苦労ではない。本当に大枚の入った財布を無くしてしまったような感覚だ。12月の決算で、なんとか年は越せる目途はついたものの、この先の状況は大半がさらに悪化の予想で本当にどうなるかという不安ばかりが先行してしまうと言っても過言ではない。で、今年もさらに進むであろう、この円高の状況をどう乗り切っていけばよいのか?少なくとも去年までは為替のヘッジが可能だったので、大型の案件であれば事前に予約を入れるという対応もとれたのだが、なんと昨年の後半からそれもできなくなってしまった。ということは極端な話、なす術がないわけだ。
こうなってしまったらもうどんなにあがいても仕方がない。為替相場だけでなく景気の状況もよく見極めたうえで、それに順応した生き方を見出し、かつ戦略を立てて柔軟に対応していかなければならない。とにかく今年は市場の冷え込みも半端ではない。でも必要なものは必要だし、こういう時期こそ今まで忙しいがゆえに目の届かなかった品質管理体制の見直しや修正予算の削減などに本格的に取り組むよいチャンスであるということを前提に客先へのアクションアイテムを吟味していきたい。
 巷では「100年に一度の大不況」といわれる2009年。この不況の状況だけを見て不安にうずもれてしまうか、それとも、この100年に一度の経験ができることをラッキーと考えて行動するかによって、将来は大きく変わってくると思のだ。


 

少し前の話だけど…。


 9月の日本行きの際に長野でブドウ園を営んでいる友人のところへお邪魔した。彼とは90年代にアメリカで共に遊んだ仲だ。彼は日本に帰国後、20年近く(?)務めた大手証券会社を辞め、家族とともに長野で農業を志し、まさに40の手習いでブドウ栽培を始めた。
ちょうど9月は収穫の真っ最中。台風一過の素晴らしい青空のもと、見事に実ったブドウが本当にまぶしかった。味もまた格別。奥さんとともに作業にいそしむ姿は何ともうらやましい感じ。それにしてもわずか2年でこんなに素晴らしいものが作れるのは、もちろん本人の並々ならぬ努力もあると思うのだが本当に感動的だった(今頃は巨峰のジャムやジュース作りに忙しくしていることと思う)。


 ここのところの金融不安、軒並み大手証券会社の倒産や、銀行の統廃合、そして世界的な経済悪化のはざまの中で胃の痛い思いをしながら翻弄される人生を考えればそれこそ最上の選択だったかもしれない。かくいう自分もそんな嵐に巻き込まれ、相変わらずもがいている身の上。。。確かに世の中の景気が悪くなれば一次産業にも影響は出てくるだろうが、そんな中で自分の意思と違うところで翻弄されずに生きることができる彼の選択は、自分にも一考どころか熟考を与えるに十分値している。

「パラダイス鎖国」を読んで

2週間ほど前になるが、「パラダイス鎖国」の著者である海部美知さんの講演会にお邪魔した。彼女の本に関しては友人の湯川さんから「こんな本でたで~えんちゃんがいつも言ってたことや」と紹介された記憶があったのだが残念ながら、なぜか今まで読むタイミングを逃していた。今回の講演では、主に通信の立場からみたネット世界に関しての内容が中心だったが、本音をいうと自分としては海部さんを一目拝見したかったのと(失礼)、著書である「パラダイス鎖国」という本の中身に関することも少しは話題に上るのかな?という点に実は参加の目的があった。
さて会場で早速本を購入し(サインも頂いてしまって恐縮です)、ちょっと時間が掛かってしまったが数日前に読了。先ず結論を述べると、かなり面白くかつ感心した。というのは自分が1999年に起業してから感じてきた「日本」のあり方が実に的確に、そして端的にまとめられていたからだ。本の内容は「住みやすく、ビジネスもしやすくなった日本がゆえに日本人は海外にあこがれも興味も無くなってしまった」という現状と、その結果として世界の中から孤立していく状況、そしてその状況を将来的にどう打開するかの指針という構成だが、これが自分が今までもやもやと感じていた日本という国に対する不信感というか危機感を見事に表現し、かつ自分には見出せていなかった将来的にどのように打開していったらいいのかという答えにもなっていると思った。そして自分の中にあった大きな疑問、1990年の初頭、私の元いた会社は、OKI、MITUBISHI、PANASONIC、NECをはじめ多くの日系携帯電話(当時は自動車電話も含まれる)メーカーのアメリカとメキシコの工場を相手に商売をしていたのだが、1996年を過ぎたころから本当にスッと潮が引くように殆どの会社が撤退してしまったという状況(当時は撤退に関して色々な噂があって日本の携帯は小さすぎでアメリカ人の指では押せないとか、携帯が小さすぎて顔の大きさに合わないとか、そんな話もあったけど)があって、会社の業績に大打撃を受けた記憶があったのだが、この本当の理由に関しても本書の中で詳細に説明がされていた(ありがとうございました)。
 さて自分がその後、独立、起業して、アメリカにある日系の製造メーカーを相手に商売をはじめてから今日まで、自身も色々な側面で日系メーカーと日本人の消極的な姿勢を目の当たりにしてきた。日本の中小企業の優れた技術や製品の紹介で日本のものつくりの復権に貢献したいという自分のミッションに対して、かつては多くの会社が賛同、つまり商いの申し出をすると積極的に話しに乗ってきてくれたのが2000年の頭ぐらいから徐々に「うちは日本で十分間に合っているから・・・」的な返事をもらうことが増えたという現状があったり、アメリカの製造メーカー(日系も含めて)、それも品質や性能にこだわる製品を製造している現場で、独断場だった日本製の優れた副資材の数々がその地位を失い品質もそこそこで低価格なアジアの製品が積極的に採用されるという状況がいまでは一般的になっていたり、アメリカにある日系の大手製造メーカーにおいても韓国、そして台湾勢の猛攻に対して価格競争に巻き込まれ、どこと無く覇気を欠いてしまったような感じを受けてしまったり…とにかくこれらの全てが「パラダイス鎖国」という言葉で見事に表現され、そしてその現況に起因してしまっていることが理解できた気がする。この状況に対して、海部さんは「21世紀の緩やかな開国」という項で具体的な現状とそれに対しての急激では無く、できる範囲での打開策を挙げ、そして「アメリカに何を学ぶか」の項ではさらにアメリカこそが本当の「パラダイス鎖国」(確かにいわれてみればその通り!)という観点から、そのアメリカがどのようにして、その状況を替えてきたかを検証し、そして「日本人とパラダイス鎖国」の項でこれからの日本、そして日本人のあり方について説いておられるが、特に最後の「脱鎖国の日本人」に書かれている一寸した意識改革こそが本当に今一番必要なことではないかと、特に日本の若い人たちを見ていると感じるこことが多い。このような考えは自分のようなオジンの考えかもしれないけど、若い人を見ていると自国である日本の現状を憂うという気持ちがまったく感じられないのだ。 これに加えて本書の最初の章に記されていた「パラダイス鎖国。産業編」で、携帯市場からの一斉撤退の理由も把握はできたのだが、この状況を目の当たりにして感じた私の日本企業に対する強い懸念がある。その気持ちは今でも変わらないのだが、それは「日本の企業というのは、なぜ皆右へ習えなのだろう?」と言うこと。これは過去にもブログに書いた記憶があるが、何故あのとき、莫大な投資をしていながらせめて一社ぐらいは、その投資を回収するまで頑張るぞ!という大和魂を貫き通さなかったのか?そして日本で限られた市場の奪い合いをいまだに性懲りも無く継続するのではなく(こんなことしているうちにまさに漁夫の利でI-PHONEあたりに徹底的にしてやられてしまう気がしてならない)、海部さんが書かれておられるような中国、アジアを主体とした大市場に、かつてのSONYやHONDAのように黒船を豪快に乗りつけ再度挑戦状を韓国勢やNOKIA、モトローラに突きつけるような気概溢れる独創的な志を持った会社がせめて一社ぐらいあってもいいのでは、と思うのだけれど、この辺はいかがなものだろうか…。海外に生きる日本人、そして日本に未だに誇りを持つ身としては、これが非常にむなしさを感じるところであるが、機会があれば、ぜひ海部さんにこのあたりのご意見を伺ってみたい。

同姓結婚を認める判決のニュースを見て感じたこと

昨日(5月15日)の北カリフォルニア、特にサンフランシスコ周辺は、カリフォルニア州最高裁がサンフランシスコ市の訴えを認め、同姓結婚を容認する判決を下した話題で持ちきりだった。サンフランシスコは全米でもゲイ(同性愛)カップルたちの聖地として長い歴史と伝統がある。メインのカストロストリートでは、多くの男性カップルが普通に生活している様子をこれまた普通に見ることができる。それはある意味物事や規制にとらわれない非常にリベラルな気質が、この地だけでなく、そこに生活人々からも感じ取ることができるということだ。何しろ同性結婚をカリフォルニア州を相手に訴えたのが個人や団体ではなくサンフランシスコ市というのだがら凄まじい。もともとサンフランシスコといえばヒッピーのメッカであり今から40年も前に、そのようなリベラルな主張とLOVE&PEACEのスピリットを持った多くのヒッピーたちがフラワームーブメントの名の下に全米のみならず世界中から集まり、一つのジェネレーションを築き上げていたことは非常によく知られているが、そのときのスピリット、DNAが未だに延々と受け継がれているところに、ものすごい意味がある気がする。きっとサンフランシスコ市で、このような訴えを起こすプロジェクトを推進していたのは、この世代に洗礼を受けた人々だったかもしれない。もちろん、そのDNAはシリコンバレーという非常に特殊なエリアを築き上げてきた先人たちにも間違いなく受け継がれているといっても過言ではないであろう。”STAY HUNGRY, STAY FOOLISH"の名言を残し、いまやシリコンバレーのカリスマのひとりとなっているアップルCEOのスティーブジョブスも、その根底にあるのは体制にとらわないリベラルな精神という、まさにヒッピー文化に共通する姿勢だ。そして今、その当時、彼らによって主張されていた、パーマカルチャーやエコロジーなライフスタイルが、本当の意味で具象化されてくる、というかされざるを得ない状況になりつつあることも事実だ。原油高に伴う物価の上昇、地球温暖化の問題などなど。我々の生活に直結する問題に対してどのように行動すればいいか。その指針は既に40年も前から、ここでは主張されていたわけだ。もちろん当時は誰も現在の状況などを予測できないから、そのような主張をする若者を、ただ単に自由と反体制を主張しドラッグに陶酔するイメージでしか捕らえられなかったであろうが、今はそうではない。当時彼らが主張していたことを実践することが不可欠になってきているのだ。大きいところでは若くして富を得た多くの新世代の起業家たちが、そのDNAによって次世代の石油に代わるエネルギー源の開発や環境対策といったテーマでビジネスという視点も考慮して次々とアクションを起こしつつある。その先端を行くGOOGLEでは、数千億の資産のある創業者の一人は環境を考えプリウスに乗っているし、社内のカフェは環境に配慮し半径150マイルの調達される材料のみを使用していたりする。行政面でもハイブリッド車に優先レーンの使用を認める配慮がなされていたり、サンフランシスコから南、モントレーにかけての農園で生産されるオルガニック野菜はダントツで全米一の収穫高を誇っている。もっと細かいところでは、私の行きつけの何店かのコーヒーショップは自分のCUPを持参すると大きさにかかわらず、コーヒーを50セント引きにしてくれて、CUPの消費軽減に努めていたり、以前私のスローライフの師匠であるウメさんが主張していた"マイハシ”運動を実践している日本料理屋も既に存在していたりする。そのうちの1店では箸を購入してくれたお客さんに日本の蒔絵柄の素敵な箸入れをプレゼントして、箸をお店にキープしている。当然お客さんはその箸があるから、そのお店にしか通わないというマーケティング的なメリットもしっかり出していて、そろそろキープ箸は100膳を超える勢いだそうだ。これでそれなりの割り箸消費の軽減、しいて言えば森林伐採の軽減に貢献しているわけだ。こういう地道は活動が、この地では、これまたすんなりと受け入れられるような気がする。これもヒッピームーブメントの伝統だろうか…。
というわけで同性結婚のNEWSから、かなり話題がずれてしまったのだが、このような事柄に対しても寛大でリベラルな風土が、歴史的に伝統のあるもので(まだ40年足らずだが)、それがシリコンバレー隆盛の原動力にもなり、そしてこの先のエコロジー文化、産業の面でも間違いなくイニシアティブを取り続けていくであろうことは、私としては容易に想像できてしまうのだ。

IT世代の新入社員から思った事

4月はちょうど新入社員たちが新天地での生活をスタートさせる時だ。たまたま、そのタイミングで日本に来ていて、色々なNEWSでその光景を放送していたり特集を組んだりしていた。今年の新入社員たちは総してIT世代だという。子供のころからTVゲームにいそしみ中学に入ると普通に携帯電話が友人たちとの交流手段の中心になり、PC上でのネットワークで情報収集をすることが基本となっている世代。そのために各企業では、新人研修に新たなメニューを準備しなければいけないという。それは本当に基本的な礼儀作法や敬語の使い方、そして社会人としてのマナーなどだそうだ。本来であれば人と人との交流、目上の人との関係、そして成長していく上である程度、自然に身についていくべきことが欠如(極端な表現だが)している若者たちが多いという。実際にTVで放映されていた新人研修会社では、基本的なビジネスマナーのならず、挨拶の仕方から敬語の使い方までを教えるコースが、一人当たり7万円という費用にもかかわらず盛況だと紹介されていた。つまり採用した会社側でも新入社員のそのようばキャラクターを憂慮していると思われる。そして書店においても、ビジネスマナーのハウツー本や敬語の使い方、社会人としての基本的な知識などの本が特設コーナーに山積みされていた。
 基本的に超体育会系人間の私にとっては非常に古臭いとよく言われるし自分が完璧だとも思わないけれども、残念ながら言葉遣いができないとか基本的なマナーを身につけていない人との交流は非常に苦手だ。ついつい億劫になってしまう。でも、そう考えると、この先IT世代の若者たちが、その知識と環境と才能を駆使して、世の中を覆すようなインフラやビジネスや環境を作っていく可能性が十分にある将来に於いては、もしそれが礼儀とかマナーの無いものであれば自分には適応できない部分が多々出てくるのではないかという心配も無いわけではないが、今まで営業という職種を20年以上も続けていると、確かにITのおかげで情報の伝達や営業活動も楽で効率よくなった点や、この先、益々そのIT偏重の傾向が増してくれば増してくるほど、逆にフェース トウ フェースの重要性がさらにクローズアップされていくような気がしてならない。

 

在米20周年

 自分の記憶が確かならば、今から20年前の1988年4月5日に私は始めてアメリカ本土に上陸した。それから20年のアメリカ生活。本当にあっという間だったという感じがする。2年間の韓国担当を経て、アメリカに来て仕事を始めた1988年は、ちょうどソウルオリンピックの年で、いいタイミングで韓国を離れてしまったことを後悔したのを覚えている。そして英語もそこそこ勉強して少しは自信があったのに、アメリカ行きの機内で、得意げに「COKEプリーズ」と言ったはずなのにコーヒーを持ってこられ、この先大丈夫だろうかと妙に不安になったのが昨日のように思い出される。
 当時のアメリカ、シリコンバレーは、日本より一足先に軽いバブルが終わって少し混沌としていた時期。UNIXベースのサンマイクロが破竹の勢いでサーバー市場を凌駕し、アジアの安いPCがこれまた凄い勢いで市場を席巻し始めていた。そして既にその地位を確立していたアップルがMS-DOSに押され衰退を余儀なくされ創立者であるスティーブジョブスが自らの会社を去った年だったと記憶している。当時はまだPCもモノクロのCRTで、ソフトウェアではワードスターやLOTUS、DB3などが主流を占めていた。
 その頃から90年代初頭にかけて、テレフォーニーという技術が急速に普及しはじめ、会社に電話をしても殆どの場合、個別のメッセージで「最近の営業は電話の機械にメッセージを残して終ってしまう」とアメリカ人の営業担当がこぼしていたことを記憶している。今になって思えば、このテレフォーニーに不可欠な小型の交換機の技術が後に来るインターネット時代に不可欠なROUTERの技術の布石になっていたのではないかとも考えられる。
 1995年あたりから交換する名刺にぽつぽつとメイルアドレスを見かけるようになってきたと思ったら、その後一年も経たないうちに怒涛のようなITバブルの幕が上がり、当時唯一ROUTERの生産をしていたCISCOシステムの株価が1997年の1年間で75倍になり、ZIPドライブのI-OMEGAの株価は50倍。そんな会社がざらにあってNSADAQ市場は空前の活況を呈し、周りに株成金やスタートアップで一山当てたにわか成金が現れ始めたり、友人のボーイフレンドで、パーティをすると彼女と一緒によく遊びに来ていたジェリーが、YAHOOを立ち上げて新聞の一面に登場したりと、何か自分のよくわからないところで、ものすごい流れが巻き起こっている印象があって自分もこればぼやぼやしていられないなあ、と思っていた矢先の98年に親会社が何と倒産。アメリカオフィスも清算を余儀なくされ、その当時現地法人の社長だった自分は、その業務に奔走して精も根も尽き果てボロボロになって、「これはもうやってられないな」と思い、1年間コスタリカあたりに行ってスペイン語の勉強と毎日サーフィンをしながらのんびり暮らしてみようと計画していたのに、友人たちに相談したら「お前馬鹿か?シリコンバレーはドッグイヤーだぞ。1年で7年先に進むんだ。おまけに今は一攫千金のチャンスがごろごろしてるのに、何でここを去るんだ?」と説得され、自分の周りの成功している連中を目の当たりにすると「そうかなあ?」と思い、自分ももしかしたら…などと単純にその気になってしまって、夢にまで見ていたコスタリカ行きをあきらめ、その旅行資金を元手に99年に会社を設立(本当にいいお客さんに恵まれたおかげで会社をスタートすることができた)し自宅の一室で業務をスタートしたのが1999年だった。
 ところがその年の後半にITバブルの崩壊…。幸か不幸か、IT産業とは、ある意味縁のない製造業に近いところで商いをしていた関係で、恩恵もこうむれなかったけれども損害もうけず、2000年からは本当にがむしゃらに奔走して今日に至る。という感じである。
アメリカに来て、それもシリコンバレーという環境で仕事ができたということは本当に自分にとっては素晴らしい経験だったし、90年代後半のITバブルのゆりかごから墓場(ちょっと言い過ぎだけど)までを傍観者としてみることができたことも何事にも変えられない貴重な体験だったと思う。そして今、本格的なWEB時代を迎え、その中枢を相変わらずリードしているこの地で、この先をどう生きるべきか?自分としては尊敬する梅田さんをはじめ、ここで得た多くの知人や友人たちの知恵と英気を十分に租借して、新たな展開を試みながら当分は頑張っていきたいと考えている(スミマセン乱文ご容赦ください)。

 

ソフトウェア産業の行く末は?

ソフトウエアプログラミングではスパークリエーター並の凄い友人がいる。彼はだいたいエスティメートで月ベースで$数万ドルクラスの仕事をこなしているのだが、ある日、この手の仕事の相場に興味をもち、「恐ろしいサイトを見つけた!」と興奮気味に話してくれた。そのサイトというのがこれhttp://www.getafreelancer.com/。ソフトウェアの仕事に関する入札(オークション)サイトだ。企業主が無記名で日雇い、もしくはプロジェクトベースの仕事を公開する。それに対して、世界中からその仕事に対するBITが始まる仕組みだ。たとえば、あるソフトウエアの仕事があって予算として通常の時給換算で月100万円の予想を立てたとする。しかしながらその仕事は、その国の相場で考えられているわけだから、仮に月1万円もあれば十分暮らせる国の天才プログラマーが、生活費プラスαで、この仕事を2万円でBITすることも可能なのだ。当然、同じ国でも学生がアルバイトで、また会社勤めのエンジニアが副業でBITすることもまったく問題ない。こうなってくるとソフトウェア開発という仕事に関して言えば、ますます低価格化が進み、産業自身の構造が大幅に変わってくるようになるだろう。大手企業の経理担当の友人が以前はなしていたが、その会社のサーバーやイントラネットを構築する際には、そのハードの倍以上の金額をソフトの開発に費やしていたそうだが(もちろん大手がまとめて受注しソフトの開発はすべて外注展開をし、その差額を搾取しているものと思われるが)、こういう構図も将来的にはなくなるかもしれない。
最近携帯端末のOSとして発表されたGOOGLEのアンドロイドもベースはオープンソースで元は無料のLINUX、対抗馬のLIMOも同じくLINUXベースで、いままでハードの開発に比例して新製品の開発費の大部分を占めていたであろうソフトウェア開発という出費は、どんどんなくなってくる状況が今後は益々一般化していくと考えられる(その割にいろいろなものは安くなってない気がするけど)。
そうなってきたときソフトウェア産業というのはこの先どうなっていくのだろうか?興味津々。

どんどんタダになる!

少し昔の話になるが、日本の大手地図メーカーゼンリンのIT部門子会社ゼンリンデータコムの社長を務める友人と最近の状況などについて話したことがある。彼によれば最近のWEBの普及により、当然たくさんのビジネスが創出されている反面、どんどんなくなっていくビジネスも多いとのことで、その最たる例が彼の会社だと語った。今まではみな地図を買って目的地やら所在を調べていたが、いまは、YAHOO,GOOGLEで目的地の所在はおろか、ナビゲーションまでしてもらえる。そうなると地図を購入する人は当然のごとく減少し、それを生業にしている人にとっては大打撃となるわけだ。そのために同社ではIT部門の子会社を作り、このような状況に対応していく計画だったのだが、最近ではこの分野も限りなくタダに近づく傾向にあるという。考えてみればそうだ。だって我々は、先のようなSE各社が提供するサービスを当然無償で利用しているわけで、そのデータを供給している友人の会社では、そのデータ化に莫大な費用と労力を費やしたにもかかわらず、供給先からはタダ同然の契約を強いられていると思われる。確かにそうだと彼は話していた。そしてそのような状況でも生き残れるビジネスモデルやスキームを考えていかなければならないと真剣に話していた。
 昨今のこコンピューター、携帯、そしてインターネットの普及によって、世の中はますます便利になり、それに相乗して情報、つまりサービスというものはどんどんタダになっていく感じがする。この地図の例だけでなく百科事典を買わなくてもWIKIPEDIAはあるし、専門書を買わなくてもたいていの情報はネット上で集められる。この状況は間違いなくサービス業、強いて言えば第3次産業自身に深刻な状況をもたらし、この先はさらに利益体質のスキームやモデルを維持していくことが難しくなっていくのではないかと考えられる。それもGOOGELやマイクロソフトのような、すでにこの手のインフラを押さえているGIANTが特定のサービスの無償化を次々に促進すれば、当然、関連のサービス業に携わる人たちを簡単に路頭に迷わすインパクトがあるということを、幸いにして製造業に携わり、そのような影響を自分自身は直接は被らないにせよ、少しは頭の片隅に置いておく必要があると強く感じてしまった。