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EVでも世界を獲れるはずだ!

 2週間前(11月30日時点)にTESLAの新しい車種であるCYBER TRUCKが発表された。どう見ても車のイメージを超越した近未来的な月面装甲車的デザイン。走行距離も一回の充電で約400㎞。0-100mの加速は6.9秒とポルシェのマカンやパナメーラのディ‐ゼル車並み。価格は39,000~70,000ドル弱と割高感はあるものの意標を突いたデザインにイーロンマスク自身による派手なパフォーマンスで予約が殺到。その数はわずか3日間で20万件になったという。2018年度のTOYOTAプリウスの総販売台数が12万台弱なので、その2倍近い台数をあっという間に確保できたことになる。自分の記憶が確かであればTESLAが廉価版のモデル3を発表した2016年、その予約総数が40万台を超えたというNEWSが巷を席巻していた。その前年の同じくプリウスの総販売台数が20万台だったので(今よりだいぶ売れていた…T_T )、その時も、瞬く間にTESLAのEVは当時、燃費のパフォーマンスで群を抜いていたプリウスの牙城を凌駕していたわけだ。今回も日本の自動車業界にとっては衝撃的なNEWSであったはずなのに、その時タイミングよく日本にいた私は、TVはもとより、新聞、メディアでも、一切TESLAのNEWSは目にする事はなかった。これは日本のメディアの顧客のほとんどが日本の自動車メーカーである事と残念ながら間違いなく深い関係がありそうだ(これはモデル3発表の際も同じだった)。

 そんなメディアの状況が日本の自動車産業の牙城に切り込む訪米と新興国の勢いをウヤムヤにしてしまっている感がぬぐえないが、そのTESLAの廉価版モデル3が発売された2016年頃から世界の自動車業界は一挙にEV化に向けての舵を切っている。ヨーロッパの各国が2030年までにガソリン自動車の販売を全廃する方針を打ち出したことによって、VWは2025年までに50車種のEVを発売することを表明。アメリカではFORDが2020年中に数車種の発表を表明。既にVOLTで市場を開拓しているGMは2023年までに23車種。高級車の雄であるポルシェも最近自前の量産EV「タイカン」を中国広州のモーターショウで発表。それぞれがEV市場の覇権を狙うべく動きを進めている。
 さて、自動車業界の雄であったはずの日本勢はどうなのだろうか?唯一TOYOTAが同じ広州のモーターショウでEVの市場投入を明確化し2023年あたりを目標に10車種の投入を計画している発表があったが、現状車種においては日産のリーフ、三菱のiMIEVのみが販売されているにとどまり値段も残念ながら著しく高い。自分が住んでいるシリコンバレーで、テスラのみならずVWのEゴルフやBMWのi3、GMのボルトをはじめ夥しい数のEVを日常目の当たりにしていると日本勢の存在感のなさに残念ながら意気消沈の思いだ。

 確かに日本においては現在自動車関係に従事している就業人口が200万人以上で、殆どがガソリン自動車の生産に携わっているという現状故、そのインフラを反故にすることは叶わないという状況はあるだろう。しかしながらこの先CASE(新しい自動車産業のキーワード)のうち、AとEは電気自動車が前提、その市場を狙う既存のメーカーに収まらない中国のBYDやBYTONをはじめとした数十社になるという新興自動車メーカーの脅威に対して、明確な政策や方針、そしてインフラを確保していくというアクションは急務どころか即実行に移すべきではないかと考える。特に大きく車自身の構造が変わる中で現状TIER1,TIER2に部材などを供給している中小町工場においては死活問題ではないかと思う。
 ただ、このブログで何時も叫んでいるが(笑)、そんな状況の中で自分は以前より、この流れを新しい事業展開の大きなチャンスと捉え、新たな発展につなげることができるのではないか?と常に思っている。残念ながら、そのための解は自分にも具体的に教示できないけれど、実はそんな解をみつけられるDNAは既に日本の皆さんが持っているのではないか?と最近NHKの「歴史秘話ヒストリア」で放送された日本の電気自動車TAMAの逸話をみて確信した(ご覧になった方も多いかと思います)。

 終戦直後の1945年12月、戦前には十数社あったといわれる飛行機の製造メーカーの雄であった立川飛行機によって始まった新規自動車開発。当時統制されていたガソリンの代わりとして入手に制約のなかった電気を駆動部に採用した開発が始まり、1946年に、その責任者であった外山保を代表として「東京電気自動車株式会社」が設立された。ここで最初に開発され1947年に発表された電気自動車が「TAMA」だ。
 
 従業員の殆どが当時ゼロ戦をはじめとした世界最高峰だった日本の飛行機の設計に携わっていたエンジニア達。このTAMA(会社が府中で多摩地区にあったことで命名)もその技術力を踏襲、空力学的に抵抗の少ないボディ設計や消費を抑えるためにバッテリーやモーターを低重心で車体の中心に置く設計など飛行機の開発に必要なアイデアがちりばめられていたそうだ。TAMAは性能的にも当時の自動車より秀で売れ行きも上々で販売当初1948年の自動車の総生産台数の3分の1を占めていたという(ちなみに当時は他の日系自動車メーカーもガソリン統制の状況からEVを作っていた)。
 しかしながら1950年の朝鮮戦争の影響によりバッテリーの主材料である鉛(弾丸に使用されるため)の価格が高騰。既に統制が解かれたガソリン車への移行を余儀なくされ、総生産台数1099台わずか5年での撤退となる。外山を中心としたエンジニア達は、その後ガソリン車の開発に挑み、ゼロ戦のエンジンを開発した中島飛行機の後継である富士精密工業と協業し、最新鋭の乗用車で御用車にもなった「プリンス」を開発。1954年に社名がプリンス自動車になり、名車スカイラインの開発をはじめ日本のモータリゼーションの黎明期を築いた。そのプリンスがデザインした日本最高峰のレーシングカーR380が日本グランプリでポルシェと互角に渡り合った逸話は有名。その後1966年に同社は日産の傘下となる。

 そんな歴史のある日本の自動車産業に埋め込まれている電気自動車のDNAは、まさに今再び開花する時期にきているのではないか?そんな思いが自分には鮮明だ。多少、出遅れの感はあるが是非とも挽回して世界を獲ってほしい!

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