第2回 シリコンバレーってどんなところ?

こんにちは。この連載をはじめるにあたって、まず私の住んでいるシリコンバレーについておさらいをしてみたいと思います。日本ではシリコンバレーというと既に電機業界では一般的な言葉として通用しているようですが、シリコンバレーとはいったいどんなところなのかここで改めて簡単にご紹介しましょう。場所はカリフォルニア州の中心より上、北カリフォルニアを代表する都市サンフランシスコから車で南へ約一時間ほど下りたところにあるサンノゼという町を中心とした一帯をさします(ロスアンジェルスからは北に約7時間)。カリフォルニはご存知のように地中海性気候で、夏場の4月から11月くらいまではまったく雨が降らない乾期と12月から3月にかけての雨期に分かれます。気候は12月から2月はだいぶ冷え込みますが、概して温暖で、特に夏場はまったく湿気がありません。このような気候柄この地帯は、戦前、そのほとんどがオレンジやアメリカンチェリー、イチゴ、アーモンドなどの農園が広がる一大農作地帯でした。明治時代には多くの日本人が移民として入植したところでもあります。今でもサンノゼの町のはずれに日本町が残っていて当時の面影を偲ばせています。サンノゼの東西には山脈が連なっていてその中心に内陸までサンフランシスコ湾が入りこんでいるためサンノゼ周辺が谷間(盆地)ように見えるのでバレーという表現になったようです。1950年代に朝鮮戦争とベトナム戦争当初の軍需により、アメリカ政府は当時からこの地にあったスタンフォード大学との間で今でいう産学協同事業による防衛機器の開発と生産をスタートさせました。これがシリコンバレーの幕開けです。やがて60年代になると半導体という新たな分野でこの地は飛躍的な発展を遂げます。この時期にこのエリアの総称としてシリコンバレーという名称が使われるようになりました。また、ちょうどこの時期にはこのような先端技術に投資をする銀行や投資家も集まりはじめ、産業自体を構築するインフラが定着してきました。そして70年代に半導体産業でその名を全世界に轟かせ、80年代のPC、やがて90年代にはインターネットと常に時代の最先端を切り開く流れを生み出してきました。
昨今の同地の概要を簡単にまとめますと、シリコンバレーと呼ばれるエリアの総面積は1500sqMiles(1マイル/1,6km)、総人口250万人、そのうち就業人口は135万人となっております。注目すべきは人種構成で白人の比率は全体の48%、アジア系24%、ヒスパニック(南米)系24%、その他2%となっていて非常にインターナショナルな地域であるといえます。これがある意味で、このシリコンバレー隆盛の原動力となっているといっても過言ではないでしょう。このあたりにつきましては折に触れてお話ししたいと思います。
-アメリカへの第一歩-

私は1988年の4月に当時私が勤めていた検査機メーカーの代理店をしていた日系大手商社の販売サポートと現地でのマーケティング活動を目的として、まず最初は長期出張ベースでアメリカ本土に初めて足を踏み入れました。その前2年間、韓国での営業活動に明け暮れていた私は多少英語には自信があったものの、アメリカ行きの機内でコーヒーを注文したつもりだったのに、OKと言って、にっこり頷いた外人スチュワーデスがコーラを持って来たので、アジアで使っていた英語はなんだったのだろう?と、いきなり言葉の不安に陥ってしまいました。アメリカでも当時はまだPCのモニターはほとんどが白黒の時代。ちょうど盛り上がりを見せていたPCブームが東南アジアの低価格機に押され、先行きに不透明感が見えていた時代でしたが、それでも当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったアップルやUNIXを武器に高価なオフコンに対抗してオフィスコンピューターに革命を起こしつつあったサンマイクロシステムズの工場が高速道路わきにいくつもの棟を連ねていました。とにかく真っ青な空の下の広大な土地に平屋の建物が果てしなく続いている、そんなスケールの大きさと日本とのオフィスというか職場環境の違いを目の当たりにして、いささか当惑したのを思い出します。

さて、そんなカリフォルニアでの生活と実際の活動がはじまるわけですが、それは苦労と驚きと困惑の連続でした。

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