Archive for 03/25/2010

安心というマーケティング(イメージ)戦略の代償

 少し時間が経ってしまったが久しぶりのテキサス出張。最近はあまり遠くへ行かなくなってしまったのだが、かつては自動車電装品メーカーを追いかけて頻繁に中西部にも出張していた。日系企業といってもメキシコのティファナやレイノサのように一か所に複数の企業があるという事は珍しく、ほとんどの場合、たとえば最寄りの空港から車で片道3時間のところにポツンと一社だけあるようなパターンが多いので非常に効率が悪い。ただ、カリフォルニアでは殆ど見れないような風景を眺めたり、いつまでも続く牧草地の中のドライブも当時は気に入っていた(勿論客先で注文がいただければそれが一番だけど…)。で、それより何よりいつも期待していたのは、そんな中西部で今まで出会ったことのないようなレシピやソースで味付けされたBBQや郷土料理に出会うことだった。最初のうちは本当にそれが楽しみで楽しみで、当時(もう15年ぐらい前?)はインターネットなどなかったから、まずホテルに着くと受付嬢に聞いてみたり、イエローページで必死に探したりして、おいしそうな店を見つけると喜び勇んで出向いていった。ところが残念ながら、ほとんどの場合、その期待は裏切られた。アラバマではホテルの受付嬢が太鼓判を押したBBQ専門店に行って、ぱさぱさの肉の塊がサーブされたので「ソースはないのか?」と聞いたらA-1ソースを持ってこられた。またインディアナポリスの郊外の町では、味の濃いBBQリブの付け合わせが食パンだった。そんなことが本当に多かった。その都度期待に胸ふくらませていた分、失望感も大きく、ついついビールの本数が増えてしまった事を思いだす。なぜかなあ?色々考えてわかった事。それは人の流通が少ないということだ。ちろん、メンフィスやシンシナチ、ナッシュビルといった大都会は別だが、自分の行くのは本当の地方都市、殆ど人の流通がない(と思われる)。なので、味が進化する必要がないわけだ。いつも来るお客さんは同じ顔ぶれ。そしてその顔ぶれが満足してくれる料理をサーブしていれば、それでいいのである。
 このような感じで何度も何度もショックを受けていると必然的にそのような冒険をすることはなくなり、どこへ行っても無難なチェーン店に足を運んでしまう。それは少なくとも味の良し悪しではなく間違いないという安心があるからに他ならない。少なくともがっかりすることは避けられるわけだ。このような安心というマーケティング戦略は勿論、チェーン展開をしている大手レストランであればどこでも意識しているだろう。
 かつて読んだロバート清崎の「金持ち父さん、貧乏父さん」の中に彼が講演の際、聴衆に「マクドナルドのハンバーガーより美味しいハンバーガーを作れる人手を上げて」というと殆どの人が手を上げるが、その聴衆に対して「それでは何でハンバーガーショップをはじめないの?」と、問いかける一節がある。このあと彼はマクドナルドのマーケティング戦略が如何に優れているかを説明してマーケティングの重要性を説くのだが、味以上に安心というところに趣を置いたその戦略の凄さに(自分はそうだと思うのであるが)、いやあやられた~と思いながらも、田舎町のマクドナルドでハンバーガーをほおばっていた自分を思い出してしまった。
 話はいきなり変わるが、昨今のTOYOTAバッシング(あえてそう言わせてもらおう)について考えてみた。TOYOTA車を選ぶ多くのアメリカ人は、その性能がいいことや燃費がいいことに加えて、故障が少ないという安心感から同社を選んでいたと思う。しかしながら今回の問題は残念ながらその一番肝要な部分を大きく損ねる結果になってしまった。これは非常に重大なことだ。そしてその回復には莫大な費用と時間を費やさなければならない。かつてJACK IN THE BOXがO157の食中毒問題をおこし死亡者まで出してしまったとき、同社の社長はテレビのCMに自ら出演し、その事実を認め謝罪すると共に今後は徹底した衛生管理をおこない、2度とこのような問題を起こさないと宣言した(というCMだったと記憶している)。そのくらいの真摯な姿勢を見せることがアメリカの国民を納得させるためには必要だ。同じようにSEXスキャンダルを起こしたクリントン大統領も、自らTVでその事実を認め、謝罪した。その潔い姿勢を国民は容認はしないまでも理解はしていたと思う。そのくらい思い切ったことがTOYOTAにも必要ではないかと思う。少なくともアメリカでこれだけ成功した会社なのだから、その安心という最需要点を失いつつある今こそ社長自らがTV上で謝罪するぐらいの姿勢を見せることが肝要だということをTOYOTAのマーケティング陣営は理解すべきだ。そうでなくとも、このような状況の中、KIAやHYNDAIといった韓国勢は確実に信頼と業績を伸ばして日系自動車メーカーが40年かけて築いてきたアメリカでの地位をわずか10年で切り崩そうとしている。そう考えると、これはTOYOTAという範疇をこえ日本の輸出産業にも大きく影響するということのみならず日本政府も国の威信と産業に影響を及ぼしかねないということを真剣に考慮し何らかのサポートをすべきではないかと思ってしまう。
 確かに安心というマーケティングの上に築かれた信頼は、その上に胡坐をかいてもいいくらいものすごい効力があるのだが、逆に一度損ねるとその代償は一国の存亡にも影響するくらい本当に深刻なものとなることを認識すべきだということを過去に感じたマクドナルドの安心というマーケティング戦略の思い出からはずいぶん横に斜めにそれて大きな話になってしまったが自分も真面目に考えてしまった。

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ものつくり立国という呪縛からの解放

 丁度前回日本に出張した1月に、たまたまNHKスペシャル「メイドインジャパンの命運」が放映されていた。これは台頭するアジアの製造メーカーの猛威に対して、日本はどう対抗し、どう道を切り開いていくのかという、日本の製造業の将来への模索を描いた特集だった。自分も海の外からではあるが、昨今の海外における日本の劣勢を目の当たりにしているだけに、この放映を見る事が出来たのはラッキーだった。この中で、既に日本での生産に見切りをつけ、自分たちが培ってきた技術のロイヤリティに収益モデルを特化し、生き残りをかけたJVCケンウッド(最近ではもちろんSONYもその部類だ)と、あくまでも技術力とものつくりにこだわり、何とか技術開発力で他国の追従を振り切ろうとする東芝の様子が放映されていた。
 特に東芝においては、価格を度外視して性能を重視した高機能テレビの開発から製造、そして完成までの様子がドキュメンタリータッチに描かれていて、かつて日本ビクターのVHSの開発の舞台裏を描いた映画「陽はまた昇る」を彷彿される感じだった(その物語の主役だったJVCもいまや斜陽の状況だが)。チューナーがいくつも付いたお化けのようなPCB、その高密度化による発熱を防ぐための蛸足のような水冷ヒートシンク、そんなお化け基板を設計したエンジニアたちの葛藤と、複雑化した機能を何とかまとめるべくデザインされたバグだらけのソフトウェアをできるだけ正常化しようとするプログラマーの奮闘、そして何とかその製品を販売路線乗せるためその発表の場を事前に控え、何とか納期を間に合わせて死期回生を図るべく現場に発破をかけるセールス陣の攻防(?)。日本が本来、常とし美徳としてきた(であろう)製造現場の舞台裏がリアルに描かれていた。そしてエンディングでは、やっとの思いで展示会の納期に間に合わすこトができた製品の出荷を朝焼け(もしかしたら夕焼け…)の中、安堵感と達成感に満ちた顔つきで見送るエンジニアたちの姿が映し出されていた。良い番組だった。が、熾烈な価格競争の泥沼にさいなまれる日系企業の状況を目の当たりにしている私が思ったのは、「これ売れるの?」という事だけだった。
 
 さて、アメリカに2月頭に戻り3月に入って2週目、シリコンバレーでは2つの大きなNEWSの発表があった。ひとつはGOOGLEがTV番組の検索を本格的にスタートするということ。同社はすでにサテライトTVを基幹に放送業界に殴り込みをかける姿勢を鮮明にしていたのだが、その計画の先鋒がまず具体化された。そしてもう一つはインターネットルーターの最大手であるCISCOシステムが従来の3倍以上の速度を実現する高速ルーターを発表。主に映像のダウンロードに飛躍的なアドバンテージを与えるというものだった。このNEWSは本当に衝撃的だ。それはテレビという日本のものつくりを代表する製品の存在自身が根底から覆るインパクトを持っているからだ。デジタル放送が標準化される背景には、もうチューナーなど必要ない新しい技術による映像配信が今後はスタンダードになるという意味があると思う。、そしてインフラをつかさどるハードウエアもその革新に伴って性能が飛躍的に向上し媒体を効率よく配信するシステムやソフトウェア[番組)自身も、この先恐ろしい早さで進化を遂げ、やがてはテレビという受信機ではなく、大型モニター+セットトップBOX(PC)が主流になる日がほんとうに近い気がする。そんな中、高機能と技術力を見せつけるために莫大な開発費と、人件費、そしてマーケティング費を費やして工場から送りだされた高機能テレビは、日の目を見ることなく葬られてしまう運命をたどらざるを得内という状況を、なぜ日本では大御所である東芝が気がついていないのか(もしかしたら気が付いていてなおかつの開発かもしれないが)ということが本当に情けない。クラウド化が加速しネットワークがより軽くシンプルなシステムとなり、それとつかさどるハードウェアーもますますシンプル化していく状況のなかで、なおもものつくり立国を自負し技術力を誇示するというのは、どう考えても勝ち目がなくなっている戦局において、なおも日露戦争における日本海軍の大勝利を再度実現すべく意味のない莫大な出費を費やして大和や武蔵といったっ巨大戦艦をつくっていた戦争末期の日本のスタイルが何の学習もなく踏襲されているような感じがした。
 もちろん、他の日本の大手家電メーカーもそのような考えを未だに持っているとは思いたくない。ただ残念ながら性格として大手であればある程、右へならえの傾向が強い事も事実だ。 「ものつくり立国」「技術立国」という自尊に胡坐をかいていられる時代はもうとっくの昔に終焉しているという事を、日本の企業はもっと真剣に受け止め、そしてその呪縛から一日も早くのがれて身軽になりもっとシンプルに市場をみるべきだ。考えてみれば本当に単純な事だとおもう。

 

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