Archive for 04/19/2008

「おもてなしの経営学」を読んで

 親友で、ITジャーナリストの湯川さんのブログに書かれていた中島聡さんの「おもてなしの経営学」という本が気になっていて、今回の日本で早速購入した。非常に面白い本で一気に読了。ソフトウェアの面から「ものつくり」に関してのUSE EXPERIENCE(おもてなし)の重要性を説いた内容で、もちろん、ものつくりが中島さんの場合には、コンシューマー向け、私の場合には、ビジネス向けではあるが、基本的には自分の商いの中心であるハードウェアの面からもまったく同じことが言えているという点では、色々と考えさせられた。
USER EXPERIENCE, 我々の業界では以前からUSER FRENDLYという表現がよく使われているが、使う側から見て「使い勝手のよいもの」が、製品の一つの重要な要素となるということはマーケティングの側面から見ても非常に重要な要素だ。これに加えてハードの場合には品質、サービス、価格という要因も重要になってくるのだが、製品は常に技術者の側面からの開発が中心になる傾向があるために、どうしても機能的にマニアックになる傾向があるのが常だ。中島さんは本書の中で「パソコン教室に通わなければならないような製品を作ってしまったこと」に対する真摯な気持ちを吐露している。そしてその気持ちが現在のアップルとSONYの現状に反映されていることを紹介している。会社の存続をも左右してしまうものつくりのコンセプトの本質がそこにあるという考えには非常に共感が持てる。
 私が以前勤めていた会社のベストセラー商品は、技術的には決して優れたものではなかった。ある意味既存の技術をうまくまとめただけのものであったと思う。それが日本の製造メーカーの生産ラインに不可欠なものなって爆発的に売れて一時はシェア40%を確保していた。この背景を今になって考えてみると、日本中、そしてアジアの各国で採用されたわけは非常に単純で使い勝手がよかったのだろうと断言できる。その分、色々なメーカーに簡単にCOPY品を作られてしまったという経緯もあったのだが、先行逃げ切りで会社をIPOまでこぎつけられた。少し違うかもしれないが、これも中島さんの言う「おもてなし」のコンセプトに共通していたと思う。
 話は変わるが、今回訪問した会社の役員たちと群馬県は富岡の老舗料亭で食事をした。その夜のお客は我々だけでお世辞にも繁盛しているようには思えなかったが、富岡製糸場の隆盛に呼応して80年の歴史があるという。料理が運ばれるたびに女将と歓談したのだが、したたかにビールを飲んで帰り際にトイレに立ち寄ると、こんな額がさりげなく飾ってあった。

日本に昔から存在するおもてなしの極意というのは、まさにこういう事だったのではないかと思う。長い間のアメリカ生活で忘れかけていた、サービスの粋に感動。このような素晴らしい「おもてなし」の技を本来習得しているはずの日本を代表するSONYが、簡単にAPPLEにお株を奪われてしまったのは、I-PHONEのときにも書かせてもらったが、本当に不甲斐ない気がしてならない。

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IT世代の新入社員から思った事

4月はちょうど新入社員たちが新天地での生活をスタートさせる時だ。たまたま、そのタイミングで日本に来ていて、色々なNEWSでその光景を放送していたり特集を組んだりしていた。今年の新入社員たちは総してIT世代だという。子供のころからTVゲームにいそしみ中学に入ると普通に携帯電話が友人たちとの交流手段の中心になり、PC上でのネットワークで情報収集をすることが基本となっている世代。そのために各企業では、新人研修に新たなメニューを準備しなければいけないという。それは本当に基本的な礼儀作法や敬語の使い方、そして社会人としてのマナーなどだそうだ。本来であれば人と人との交流、目上の人との関係、そして成長していく上である程度、自然に身についていくべきことが欠如(極端な表現だが)している若者たちが多いという。実際にTVで放映されていた新人研修会社では、基本的なビジネスマナーのならず、挨拶の仕方から敬語の使い方までを教えるコースが、一人当たり7万円という費用にもかかわらず盛況だと紹介されていた。つまり採用した会社側でも新入社員のそのようばキャラクターを憂慮していると思われる。そして書店においても、ビジネスマナーのハウツー本や敬語の使い方、社会人としての基本的な知識などの本が特設コーナーに山積みされていた。
 基本的に超体育会系人間の私にとっては非常に古臭いとよく言われるし自分が完璧だとも思わないけれども、残念ながら言葉遣いができないとか基本的なマナーを身につけていない人との交流は非常に苦手だ。ついつい億劫になってしまう。でも、そう考えると、この先IT世代の若者たちが、その知識と環境と才能を駆使して、世の中を覆すようなインフラやビジネスや環境を作っていく可能性が十分にある将来に於いては、もしそれが礼儀とかマナーの無いものであれば自分には適応できない部分が多々出てくるのではないかという心配も無いわけではないが、今まで営業という職種を20年以上も続けていると、確かにITのおかげで情報の伝達や営業活動も楽で効率よくなった点や、この先、益々そのIT偏重の傾向が増してくれば増してくるほど、逆にフェース トウ フェースの重要性がさらにクローズアップされていくような気がしてならない。

 

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在米20周年

 自分の記憶が確かならば、今から20年前の1988年4月5日に私は始めてアメリカ本土に上陸した。それから20年のアメリカ生活。本当にあっという間だったという感じがする。2年間の韓国担当を経て、アメリカに来て仕事を始めた1988年は、ちょうどソウルオリンピックの年で、いいタイミングで韓国を離れてしまったことを後悔したのを覚えている。そして英語もそこそこ勉強して少しは自信があったのに、アメリカ行きの機内で、得意げに「COKEプリーズ」と言ったはずなのにコーヒーを持ってこられ、この先大丈夫だろうかと妙に不安になったのが昨日のように思い出される。
 当時のアメリカ、シリコンバレーは、日本より一足先に軽いバブルが終わって少し混沌としていた時期。UNIXベースのサンマイクロが破竹の勢いでサーバー市場を凌駕し、アジアの安いPCがこれまた凄い勢いで市場を席巻し始めていた。そして既にその地位を確立していたアップルがMS-DOSに押され衰退を余儀なくされ創立者であるスティーブジョブスが自らの会社を去った年だったと記憶している。当時はまだPCもモノクロのCRTで、ソフトウェアではワードスターやLOTUS、DB3などが主流を占めていた。
 その頃から90年代初頭にかけて、テレフォーニーという技術が急速に普及しはじめ、会社に電話をしても殆どの場合、個別のメッセージで「最近の営業は電話の機械にメッセージを残して終ってしまう」とアメリカ人の営業担当がこぼしていたことを記憶している。今になって思えば、このテレフォーニーに不可欠な小型の交換機の技術が後に来るインターネット時代に不可欠なROUTERの技術の布石になっていたのではないかとも考えられる。
 1995年あたりから交換する名刺にぽつぽつとメイルアドレスを見かけるようになってきたと思ったら、その後一年も経たないうちに怒涛のようなITバブルの幕が上がり、当時唯一ROUTERの生産をしていたCISCOシステムの株価が1997年の1年間で75倍になり、ZIPドライブのI-OMEGAの株価は50倍。そんな会社がざらにあってNSADAQ市場は空前の活況を呈し、周りに株成金やスタートアップで一山当てたにわか成金が現れ始めたり、友人のボーイフレンドで、パーティをすると彼女と一緒によく遊びに来ていたジェリーが、YAHOOを立ち上げて新聞の一面に登場したりと、何か自分のよくわからないところで、ものすごい流れが巻き起こっている印象があって自分もこればぼやぼやしていられないなあ、と思っていた矢先の98年に親会社が何と倒産。アメリカオフィスも清算を余儀なくされ、その当時現地法人の社長だった自分は、その業務に奔走して精も根も尽き果てボロボロになって、「これはもうやってられないな」と思い、1年間コスタリカあたりに行ってスペイン語の勉強と毎日サーフィンをしながらのんびり暮らしてみようと計画していたのに、友人たちに相談したら「お前馬鹿か?シリコンバレーはドッグイヤーだぞ。1年で7年先に進むんだ。おまけに今は一攫千金のチャンスがごろごろしてるのに、何でここを去るんだ?」と説得され、自分の周りの成功している連中を目の当たりにすると「そうかなあ?」と思い、自分ももしかしたら…などと単純にその気になってしまって、夢にまで見ていたコスタリカ行きをあきらめ、その旅行資金を元手に99年に会社を設立(本当にいいお客さんに恵まれたおかげで会社をスタートすることができた)し自宅の一室で業務をスタートしたのが1999年だった。
 ところがその年の後半にITバブルの崩壊…。幸か不幸か、IT産業とは、ある意味縁のない製造業に近いところで商いをしていた関係で、恩恵もこうむれなかったけれども損害もうけず、2000年からは本当にがむしゃらに奔走して今日に至る。という感じである。
アメリカに来て、それもシリコンバレーという環境で仕事ができたということは本当に自分にとっては素晴らしい経験だったし、90年代後半のITバブルのゆりかごから墓場(ちょっと言い過ぎだけど)までを傍観者としてみることができたことも何事にも変えられない貴重な体験だったと思う。そして今、本格的なWEB時代を迎え、その中枢を相変わらずリードしているこの地で、この先をどう生きるべきか?自分としては尊敬する梅田さんをはじめ、ここで得た多くの知人や友人たちの知恵と英気を十分に租借して、新たな展開を試みながら当分は頑張っていきたいと考えている(スミマセン乱文ご容赦ください)。

 

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